ハイアン・グレイシー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
[[画像:|200px]] |
|
基本情報 | |
---|---|
本名 | ハイアン・グレイシー |
あだ名 | 狂犬 |
階級 | |
国籍 | ブラジル |
誕生日 | 1974年8月14日 |
出身地 | ブラジル |
命日 | |
死地 | |
スタイル | ブラジリアン柔術 |
プロ総合格闘技戦績 | |
総試合数 | |
勝ち | |
KO勝ち | |
一本勝ち | |
敗け | |
引き分け | |
無効試合 |
ハイアン・グレイシー(Ryan Gracie、1974年8月14日 - )は、ブラジル、リオ・デシャネイロの総合格闘家。前田光世より柔術を教わったカーロス・グレイシーの次男である、カーロス・ボブソン・グレイシーの四男。兄弟には、同じく総合格闘家の次男ヘンゾ・グレイシーや三男ハウフ・グレイシーがいる。ヒクソン、ホイス、ホイラー・グレイシー兄弟の「従弟」と紹介されることがあるが、実際には「ヒクソン等の従兄弟の孫」である。
[編集] 経歴
紳士であり、ストイックに柔術へ取り組んでいるイメージの強いグレイシー一族の中にあって、「ピストルで撃たれた」話や「相手の耳をかみちぎった」話、果てはハイアンに恨みを持ったマフィアが、彼をさらい、廃車に閉じこめられたまま海に落とされた話など、ヒクソン・グレイシーやホイス・グレイシーと同じ一族の人間とは思えないエピソードに事欠かない。通称「グレイシー最狂の喧嘩屋」。自称ストリートファイト400戦以上無敗。
それを裏付けるように、日本初登場の(2000年8月28日PRIDE10(西武ドーム・現インボイス西武ドーム)では石澤常光(ケンドー・カシン)の顔面にダース単位のパンチのラッシュを叩きこみ勝利。2002年9月29日のPRIDE21(名古屋レインボーホール)での大山峻護戦では、大山の腕を腕ひしぎ十字固めで脱臼させ、うずくまる大山に罵声を浴びせるという、「喧嘩屋」ぶりを見せ付けた。
ムラのある性格らしく、やる気の時には素晴らしいファイトをするが、モチベーションが低い時にはロクに練習もせずにスタミナ切れを起こすことも多い。2度目の石澤戦や桜庭戦の敗戦は怪我が原因ではなく、スタミナ切れとモチベーションの低さ(実質ギブアップ)が原因と言われている。2度目の石澤戦の際には、パスポートの紛失からやる気をなくして来日を勝手に辞めてしまい、兄・ヘンゾの説得でようやく試合前日に到着するというドタバタぶりを見せている。
ハイアン曰く「我々一族はマフィアと同じ。ファミリーの人間が負ければ必ず借りは倍以上にして返す」とのこと。ホイス・グレイシーが柔道家・吉田秀彦との試合(「Dynamite!」2002年8月28日・国立霞ヶ丘競技場)で、納得のいかないレフリーストップ負けになった際、先陣を切って吉田討伐に名乗りを挙げた。事あるごとに吉田を挑発し、2003年12月31日PRIDE男祭り(さいたまスーパーアリーナ)での再戦までその挑発は続いた。
前述のPRIDE10での入場曲は小柳ゆきの「be alive」。その後数回使用する。これは「入場曲は何にしますか?」と尋ねられ、「この国(日本)の曲ならなんでも良い」と言ったのを「この県(試合が行われた埼玉県)の」と誤訳したスタッフが「埼玉県出身の歌手」の曲を選んだといわれている。
元カーウソン・グレイシーの門下生であるヴァリッジ・イズマイウとは犬猿の仲(ナイトクラブで大喧嘩をしフロントチョークで絞め落されたこともある)。
2005年10月27日ブラジルの兄弟の家で、銃で誤って自分の足を撃ち、重傷を負った。
カテゴリ: 格闘技関連のスタブ項目 | ブラジリアン柔術家 | ブラジルの総合格闘家 | 1974年生 | グレイシー一族