大阪平野
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大阪平野(おおさかへいや)とは、大阪府の中央部から兵庫県の南東部を占める平野である。
北を六甲山地と北摂山地に、東を生駒山地と金剛山地に、南を和泉山脈に囲まれ、西の大阪湾に注ぎ込む淀川が主要河川である。東隣には奈良盆地が、南隣には和歌山平野がある。
大阪盆地(おおさかぼんち)という呼称もある。この場合、大阪湾を隔て、南を諭鶴羽山地に、西を津名丘陵に囲まれた淡路島の洲本平野を含む場合もある。
[編集] 成り立ち
縄文時代、現在の寝屋川市あたりまで海があり、上町台地のところは半島になっていた。それが琵琶湖を源流とする淀川や大和川など周囲から流れ込む大量の土砂が次第に堆積し、弥生時代には上町台地の部分の砂州によって大阪湾と上流の河内湾とが隔てられ、河内湾は湖、すなわち草香江(くさかえ)になり、その湖も干拓され五世紀ごろには現在の大阪平野の姿ができた。
そして古代より中国や朝鮮半島との船での往来の拠点としていくつかの港津が開かれた。現在の堺市に位置していたと推定される榎津(えなつ)、住吉大社の西方に位置していたと考えられる住吉津、大阪市中央区三津寺付近にあったとされる難波津、そして現在の堂島川にあったと思われる江口である。ただし、江口は難波津に来航する外交使節を迎える場であったらしい。そして難波京が置かれたこともあり、大和時代から平安時代にかけて朝廷の玄関口として機能した。
上町台地の東側では洪水が頻繁に発生したため、1703年にそれまで北へ向かっていた大和川の流れを今のように西へ向けるようにした。これにより旧大和川の流域は鴻池新田などの農地となったが、大和川の河口となった堺では港に土砂が堆積して港湾機能が低下した。
現在では埋立地が大阪湾に広がっており、自然の海岸はほとんど残っていない。
カテゴリ: 大阪府の地理 | 兵庫県の地理 | 日本の平野 | 日本の地理関連のスタブ項目