淡路島
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淡路島(あわじしま)は、瀬戸内海東部に位置する島の一つ。兵庫県、近畿地方に属する。令制国名は淡路国。
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[編集] 地理
大阪湾、播磨灘、紀伊水道の海域に囲まれ、南北に約40km、東西に約20kmに伸びている。本州など四島を除いて、面積は第七位の島。北端は松帆崎で明石海峡に面し、南東端は生石鼻で紀淡海峡に面する。
気候は瀬戸内海式気候に当たり、温暖だが雨が少ない。
[編集] 植生
北東部に標高522m の妙見山、中央部には標高448mの先山(淡路富士)、南東部に位置する洲本市・南あわじ市にかけて諭鶴羽山地が位置する。諭鶴羽山地には標高 606m の諭鶴羽山、標高569mの柏原山がある。諭鶴羽山、柏原山、先山を「淡路三山」と呼ぶ。
[編集] 海峡
全長約4kmの吊り橋である明石海峡大橋で本州に、大鳴門橋で四国に連絡する。四国新幹線のために、大鳴門橋は鉄路道路併用橋として建設されたが、明石海峡大橋は技術的な問題から道路専用橋として建設されたため、将来、本州との間に海底トンネルが掘られるか、もう一本連絡橋を架ける必要を有する。
徳島県は、既に鉄道の実現性が失せたものとして、大鳴門橋の鉄道橋梁部分を有料の遊歩道として整備し、2000年以降は、鳴門海峡の渦潮が天から望める展望スポットとして開放している。尚、淡路島~四国間は渡航ルートが無く、歩行者、軽車両、原動機付自転車、小型自動二輪車、ミニカーで淡路島~ 四国間を行き来することができない。西瀬戸自動車道同様に専用道路を設置してほしいという地元住民の声が多いものの設置予定自体が無く、鳴門海峡はモータリゼーション問題を象徴している。
[編集] 鳴門海峡
鳴門海峡(なるとかいきょう)は徳島県の島田島北東部の孫崎と淡路島南西部の鳴門岬の間に位置する部分を言い、峡間は約 1km。鳴門海峡では瀬戸内海と外海の潮位の差により起こる天然記念物の「鳴門の渦潮」を四国寄りの部分で見ることができる。
[編集] 歴史
淡路島は、記紀の日本列島の国産みの神話に登場し、『古事記』では淡道之穂之狭別島(あわじのほのさわけのしま)と書かれ、『日本書紀』では、淡路洲と書かれ、伊弉諾尊(いざなきのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)の産んだものとされる。
又、「阿波路」という名称の通り、阿波国への道として発展した。
江戸時代には、徳島藩の知行地となった。明治維新期の廃藩置県によって、徳島藩は名東県に改組されたが、庚午事変(稲田騒動)が遠因となり、1876年8月21日に名東県が分割されると、淡路島は兵庫県に編入された。以来、近畿地方の一角として発展している。
[編集] 行政
1965年以降、洲本市・津名郡・三原郡の1市10町体制が続いていたが、市町村合併ブームによって、2005年1月11日には三原郡4町が南あわじ市に、2005年4月1日には津名郡五色町を除く津名郡5町(淡路町・北淡町・東浦町・一宮町・津名町)が淡路市となった。残る五色町は2006年2月11日に洲本市と合併し、新たに洲本市となった。
[編集] 地域
淡路島の南北に神戸淡路鳴門自動車道が縦断する。島北東部の大阪湾に面する海岸線に沿って国道28号線が走り、津名港がある。このうち、南東部の洲本市周辺の洲本平野から南西部の南あわじ市(南淡町)へ通じる部分を四国街道と呼ぶ。
島北西部の播磨灘に面する海岸線に沿って、南あわじ市で三原平野西部を縦断する兵庫県道31号福良江井岩屋線が走っている。島内には1922年から1966年にかけて洲本と福良をむすぶ淡路交通鉄道線が存在したが、以降は路線バスに置き換えられており、鉄道路線はない。
市外局番は島内全域0799であるが、淡路市(津名MA)と洲本市・南あわじ市(洲本MA)との相互通話には市外局番が必要である。MAの統合は現在実施されていない(2005年10月現在MA統合が実施されたのは2005年6月の佐渡島のみである)。