大鷲透
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大鷲透(おおわし とおる、1975年12月24日 - )は日本の男子プロレスラー、若松部屋所属の元大相撲力士。本名:伊藤 透(いとう とおる)。 プロレスリングElDorado所属。長野県佐久市出身。身長185cm、体重120kg。
父は元力士で前頭三枚目まで昇進した大鷲平でリングネームも父の四股名に肖ったものである。通称「透ちゃん」、「ワシ関」。
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[編集] 経歴
元力士の父の後を追うように大相撲若松部屋に入門。1993年に初土俵を踏み、1999年に序二段42枚目まで昇進するが膝の怪我が元で引退。一度は調理師を目指すが、元々憧れていたプロレスラーになるべく闘龍門に入門、闘龍門7期生になる。T2Pの一員としてメキシコに渡り2000年9月2日にデビュー。一匹狼のヒールとして活動していたが、イタリアン・コネクションを離脱した"brother"YASSHI、ドッティ修司(現・近藤修司)と共にはぐれ軍団(仮)を結成、のちに悪冠一色に発展。DRAGON GATEに移ってからも傍若無人ぶりを発揮していたが、2004年に素行不良が原因で他のメンバーと共に解雇される。
2005年はdragondoorの興行に参戦し、大阪プロレスでは武侍漢のリーダーとして活躍。同じく2005年から参戦しているDDTプロレスリングのリングではディザスターボックスを率いて、2006年4月2日にKO-D無差別級チャンピオン獲得。男色ディーノの向こうを張ってゲイキャラクターを演じるなど、レスラーとしての幅を広げつつある。
9月、かねてより念願だった大鷲プロレスを故郷・佐久市体育館で行う。DDTやエルドラドの選手が協力し、大成功に幕を閉じる。
[編集] タイトル履歴
- 闘龍門JAPAN
- UWA世界6人タッグ選手権
- 第28代…パートナーは近藤修司&"brother"YASSHI。
- DDTプロレスリング
- KO-D無差別級選手権…第22代
[編集] 得意技
- ランニング・喉輪落とし
- パワーボム
- ダイビング・ボディプレス
- 闘龍門時代は団体最重量級の体が落下する様を故郷の浅間山の噴火に例えられた。
- 千秋楽固め
- 相手の両足をクロスして、相手を跨ぐようにしてその両足を固めつつ、相手の片手を相手の首に巻き付けて絞め上げる複合関節技。早くからT2Pのスタイルが自分にマッチしない事を自覚し、T2P時代に習得したジャベはこれひとつだけだった。T2P解散後にはほとんど使用しなくなった。
[編集] リングネーム、四股名
- 大相撲時代
- 朝伊藤 透
- 朝鷲 透
- プロレスラー転向後
- 伊藤 透 (本名)
- 大鷲 透 (現在も使用中)
[編集] エピソード
- 父がGAORAのDRAGON GATE中継で実況を務める松崎年男と親交があり、幼少時代に抱っこされた事がある。
- 父が力士時代は同じく力士だった天龍源一郎と親交があり、プロレスラーとなった天龍は巡業中、ちゃんこ大鷲に寄っては幼少時代の透をあやしたという。※店には天龍とタイガーマスク(三沢)と大鷲一家の写真が飾ってある。
- 大相撲出身で父の経営する相撲料理店で修行した経歴があるため、メキシコの道場ではちゃんこ番を務めていた。彼の作るちゃんこは栄養管理も徹底されており、その味は選手から評判が高かった。メキシコの道場には今もレシピが残っている。
- その風貌と傲慢な性格から、「プロレス界のジャイアン」ともいわれる。しかし、闘龍門時代のCIMA、みちのくプロレスの景虎や大阪プロレスのスーパー・ドルフィンなど、善戦した相手を褒める一面もある(その一面も含めて「ジャイアン」だともいえる)。
- 闘龍門時代の近藤修司とのタッグはそれぞれ大相撲、ラグビー出身という経歴から龍原砲(天龍源一郎&阿修羅・原)の再来と言われた。実際にサンドイッチラリアット→延髄斬りという龍原砲の得意とする連携を披露していた。悪冠一色解散後は同団体に所属しながらも距離を置いて活動しているがタッグの復活を願うファンは多い。