阿修羅・原
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阿修羅・原 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 阿修羅・原 阿修羅原 ミスター・フジ 原進 |
本名 | 原進 |
ニックネーム | 和製チャールズ・ブロンソン ガッツマン 流離のヒットマン 野生のダンプガイ |
身長 | 183cm |
体重 | 125kg |
誕生日 | 1947年1月8日 |
出身地 | 長崎県諫早市 |
所属 | WAR |
スポーツ歴 | ラグビー |
デビュー | 1978年6月23日、寺西勇戦 |
引退 | 1994年10月29日、冬木弘道・邪道組 (パートナーは天龍源一郎) |
阿修羅・原(あしゅら はら、1947年1月8日 - )本名:原 進(はら すすむ)は、ラグビー選手を経てプロレスの世界でも活躍した元プロレスラーで、教育者。長崎県北高来郡森山町(現在諫早市に合併)出身。
目次 |
[編集] 経歴
[編集] ラガーマン時代
長崎県立諫早農業高等学校在学中からラグビー選手として鳴らし、進学した東洋大学、さらには社会人としては近鉄の選手とラグビーで渡り歩く。近鉄時代は日本代表に選出され、1976年には日本人として唯一世界選抜メンバーに選出されるなど、日本を代表するラガーマンとして活躍した。
[編集] プロレスラー時代
1976年秋、国際プロレスにスカウトされデビュー。マスクマンとしてプロレスをしていたが、1978年に素顔となる。対戦相手は寺西勇。その後すぐに海外武者修行に出た。同年冬に帰国。ラグビーファンである野坂昭如に阿修羅原と命名された。その後はWWU王座を獲得するなど活躍。
1980年、新日本プロレスに進出。藤波辰巳と勝負を繰り広げた。また同年、海外に遠征しヘビー級の礎を築くものの、帰国後すぐに国際プロが崩壊。マイティ井上と共に全日本プロレスに移籍した。一説では、引退するつもりだったところ似たようなキャリアの天龍源一郎がNWA世界王者に挑戦すると聞いて、「所属団体が違っただけでその差は何だ!」と引退を撤回したといい、これをきっかけに天龍との縁が出来る。井上と共にアジアタッグ王座を獲得するなど活躍した。 当時のニックネームは”野生のダンプガイ”。
1987年より天龍源一郎と共に「天龍同盟」を結成。天龍とのタッグ龍原砲は全日本で一時代を築き、長州力らジャパンプロレス勢が離脱した後の全日本を支えた。
その後1988年に控室や事務所まで「借金取り」が来るほど金銭にルーズであることを理由に全日本を解雇となり、札幌で隠遁生活を余儀なくされる。しかしまもなく盟友・天龍の願いを受け1991年に天龍が所属していたSWSにて復帰。SWS崩壊後は天龍らとWARへ移籍。対抗戦の相手である新日本プロレスのリング上では、長州力、藤波辰爾らとも対戦をした。よくスーパーストロングマシーンとタッグを組む。
1994年引退。引退試合では天龍の厳しい攻撃を真正面から受け続けた。その壮絶さは伝説となっている。試合後、天龍は会場にいた原の家族へ向けてマイクを握り、「長らくお借りいたしました。今日、原をお返しします」と語りかけ、はなむけとした。
[編集] 教育者時代
引退後は郷里の森山町に帰り、町の教育委員会に依頼されて森山町立スポーツ交流館で町民の健康づくりのスポーツコーチを務めた。その後、母校の長崎県立諫早農業高校でラグビー部コーチとなって、当時長崎県立長崎北陽台高等学校にラグビー名門校のお株を奪われて凋落傾向にあったラグビー部の建て直しに当たったほか、その他の学校でも筋トレの方法などを教えた。諫早農高は2002年、全国大会に出場した。
しかしまもなくその職も離れ、またも隠遁の身となっている。しかしそのあまりに不器用な生き方を愛し、原の再起を願うファンは決して少なくない。
[編集] 得意技
- 全日本時代、スタン・ハンセンに連日のようにラリアットを食らい、失神・痙攣状態になったこともある。ハンセンが左腕を振りぬくのにちょうどいい背丈だったことも災いし、「他には何もいらないから、あと5センチくれ!」と叫んだのは有名。しかしその経験を生かし、ラリアットを自らの必殺技とした。
[編集] エピソード
全日本所属(正式には所属しておらずフリー)してすぐの時代から、諸事情があり遠征へ向かう際は選手バスに乗らず、リング屋のトラックに同乗していた(後に天龍源一郎と天龍同盟・龍原砲を結成後は、メンバーと一緒に専用車で移動した)。当時から金銭的な問題はあり、あまりお金を持っていない中、リング屋トラックで移動していた仲田龍(現・ノア取締役)やレッドシューズ海野(現・新日本レフェリー)らをよく食事に連れて行くなど面倒見はよかった。仲田も「原さんが解雇されたときは、事情は何となく分かっていたから、驚いたというより心配した。僕らにとっては、よくしてもらったし、感謝しているし、尊敬している」と述べている。
[編集] タイトル歴
- WWU世界ジュニアヘビー
- 英連邦ジュニアヘビー
- アジアタッグ王座
- PWF世界タッグ王座
- 世界タッグ王座
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