太田茶臼山古墳
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太田茶臼山古墳(おおだちゃうすやまこふん)は大阪府茨木市太田三丁目に所在する前方後円墳。墳長はおよそ230mで、後円部の径はおよそ140m、前方部の幅はおよそ150m。馬蹄形の周濠が巡るが、かつては二重濠であったと推定する向きもある。周囲には陪冢と考えられる小古墳も点在している。宮内庁によって繼體天皇の三嶋藍野陵(みしまのあいののみささぎ)に治定されている。
1986年には外堤の、2002年には墳丘本体の護岸工事を前提とした発掘調査が宮内庁によって行われており、大量の円筒埴輪のほか、馬形埴輪、甲冑形埴輪、水鳥形埴輪、須恵器片などが出土している。宮内庁管理区域外では大阪府教育委員会や茨木市教育委員会によって発掘調査が行われており、外堤上の埴輪列や、陪冢に使用されていたと見られる形象埴輪などが出土している。
江戸時代中期に繼體天皇陵に比定されたが、文献史学の立場からは、延喜式記載の所在地と異なるという問題点が早くに指摘されていた。さらに、出土埴輪の特徴は、5世紀中頃のものと考えられているもので、考古学的にも527年 (古事記) ~ 534年 (日本書紀或本云) に没した繼體天皇の陵ではありえないという意見が研究者の大勢を占める。これに対し,東へ1.5キロほどの所に所在する今城塚古墳は,所在地および考古学的に推定される築造年代が文献に記される繼體天皇陵としての条件に合致する上,当該期の古墳の中では隔絶した規模を持っており,こちらこそが真の繼體天皇陵と考えられている。
なお、現在知られている当古墳出土埴輪のほとんどは大阪府高槻市に所在する新池遺跡で製作されたものであることが明らかとなっている。
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