宗貞国
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宗 貞国(そう さだくに、1422年(応永29年) - 1494年(明応3年))は、室町時代中期から戦国時代にかけての武将。宗氏の第11代当主。宗盛国の次男で、第10代当主・宗成職の弟。官位は刑部少輔。
幼名は彦七。1468年、兄の没後に家督を継いだ。この頃、宗氏では一族が分裂していたが、貞国はこれら一族の大半を服従させて対馬の支配権を確立した。また、李氏朝鮮との通交も盛んにした。そして主筋の少弐教頼・少弐政資らを助けて大内氏と戦い、北九州にまでその勢威を広げたが、やがて大内政弘の反攻にあって、少弐氏は敗れ、貞国の筑前における所領も奪われた。1492年、隠居して家督を宗材盛に譲り、1494年に死去した。享年73。