山名義範
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山名 義範(やまな よしのり)は鎌倉時代の武将。通称は三郎(または太郎とも)。山名氏の祖。
新田義重の長子という。子に山名義節。山名重国は孫にあたる。 異説では父が足利義清(矢田判官代)で生母が義重の娘との説もある(となると義重の外孫ということになる)。
上野国八幡荘の山名郷を与えられ、山名氏を称した。1175年-1177年ごろには豊前国の宇佐八幡宮を勧請し、山名八幡宮を建立している。他の兄弟と比べて極端に少ない所領しか相続しなかったことから、新田氏の中でかなり冷遇されていたと見られる。
父とされる義重は平家打倒を目的に挙兵した源頼朝の命になかなか従おうとしなかったために、頼朝から不興を買ってしまっているが、逆に義範はすぐさま頼朝の元にはせ参じて「父に似ず殊勝」と褒められ、御家人として、優遇され活躍した。