山崎浩子
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山崎 浩子(やまさき ひろこ、1960年1月3日 - )は鹿児島県揖宿郡出身の元新体操の選手・タレント・スポーツライター。身長154cm。血液型はB型。
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[編集] 略歴
[編集] 新体操選手時代
3歳から中学までは種子島で育つ。 新体操の名門鹿児島純心女子高校時代から始めた新体操では、全日本選手権5連覇の偉業を成し遂げる。新体操にとって初の五輪種目となったロサンゼルスオリンピックでは8位に入賞を果たし、新体操ブームを巻き起こした。
[編集] クイズダービー関連
引退後は新体操スクールを開校し、後進を指導する傍ら、タレントとして様々なTV番組に出演する。特に「クイズダービー」では斉藤慶子の後を引き継いで、約2年10か月(1985年4月~1988年2月13日)の間、8代目2枠レギュラー解答者として座っていた。右隣の1枠レギュラーで当時学習院大学の教授だった、篠沢秀夫に勝るとも劣らぬ珍解答ぶりを発揮しつつ、難しい問題で正解する事もたまに有ったので、正答率は2割8分5厘(平均2勝6敗~3勝5敗ペース)とまぁまぁの成績だった。特に難問で思いついた答えを複数書いてその中の1つを選んで正解させたことが印象深い。又最多連敗は20連敗で、長山藍子と並んで歴代ワースト4位の記録となっている。不正解にはその長山と同様、特に一般問題では篠沢教授と全く一緒になるケースが多く、教授に向かって山崎は「ダメですよ~」と、思わず嘆きながら苦笑いする事があった(滅多に無いが逆に篠沢と山崎の二人だけが正解する珍しいパターンもあった)。本当の名前の読みは「やまさき」なのだが、巨泉から紹介される際は「やまざき」と言われた時もあった。ギャンブラーとして出場した時は2回とも10万点を超す好成績を修めた。
しかし、「一人を除いてみんな同じ答え!」と、司会の大橋巨泉からその言葉を聞いた途端、山崎は思わず何らかのリアクションを起こしながら「(その一人は)絶対に私です!」と嘆いた事がよくあった。そして、篠沢ほどではないものの実際に、山崎1人だけ不正解の時が多かった。逆に巨泉から三択問題などで「山崎さん、(その一人は)あなたでは有りません!」と言われると、山崎は「分かった!その一人だけ当たってるの!(竹下)景子さんでしょ!?」と巨泉に言い返したりするなど、山崎自身は必ず不正解である事を強調していた。そして山崎がレギュラー降板後5枠ゲスト解答者として出演した際(1988年9月17日放送分)、4問目の三択問題で再び「一人を除いて...」と成った時、やはりまた山崎だけ不正解となってしまった。巨泉からは「どうしてお前はいつまで経ってもそうなるんだ?」と呆れた感じで質問されると、山崎は「目立ちたいんです!」と苦笑いを浮かべていた。ちなみにこの日の6問目の歌詞問題でまたもや「一人を除いて...」と成ったがこの時は正解した(該当したのは1枠の北野大)。
山崎はソウルオリンピックの準備等で忙しくなり、1988年2月13日放送時を最後に、レギュラー解答者を降板となった。その後2枠レギュラーとなる井森美幸が、かつて5枠ゲストとして2回目に登場した時(1987年12月19日放送分)の珍解答ぶりには、彼女自身大変驚いたらしく、次の週の冒頭で「お見逸れしましたね、井森さん。もうかなわないです。(私自身)年を感じましたね。」という発言をしている。又山崎は、色んな変わった髪形をしてくるせいか、巨泉にはよく「なんだその化け物みたいな頭は?」「浩子はヘアースタイルの事ばっかりしか考えてない」とまで言われていた。当時「ロートZi:」が読めなかった。本人曰く、「舌が短い」らしい。
同じくクイズダービーで、ある日「強くて厚い鬼のパンツはいったい何で出来ているのでしょう?」という問題が出た時に、全く分からなかった山崎は、散々考えた挙句「はらさんと同じ」というふざけた解答を書いて、会場全員を爆笑させる事件があった。左隣の3枠レギュラーのはらたいらは勿論正解(ちなみに正解の答えは「つらの皮」)だったが、その後巨泉に「浩子のつらの皮も相当に厚いようだな!」と呆れられた、という。他には「落語には将軍が屁をすると諸大名がゴマをするという話が有りますが、水戸候が『草木もなびく君のご威勢』というと一人も負けずに『武運長久』と言います。では紀州候は漢字四文字で何と言ったでしょう?」という問題も山崎は全く分からず、ふざけて「教授一緒」と書いていた(正解ははらの「天下太平」)。
[編集] 結婚から現在まで
1992年8月25日、桜田淳子、徳田敦子などと共に統一教会(統一協会)の合同結婚式に参加し、世間を驚かせるが、家族や牧師の説得を受け、脱会を決心し、翌1993年3月10日、記者会見で統一教会からの脱会と勅使河原氏との結婚解消を発表。 この涙の会見で口にした「マインド・コントロール」という言葉がここから広まった。 それらに関する手記「愛が偽りに終わるとき」(文芸春秋社)も出版。
アテネオリンピック強化委員会新体操強化副本部長を務め、競技の解説もした。 現在は、財団法人日本体操協会理事、2004年春には北京オリンピック委員会新体操強化本部長に就任し、新体操の再生を図っている。 スポーツライターとしてあらゆるスポーツをカバーするほか、各地での新体操指導、イベント出演等、ダンスドラマなど幅広い活動をしている。
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
- 新体操
- 長崎純心聖母会(山崎の通っていた高校の経営母体)
- 世界基督教統一神霊協会
- マインドコントロール