山水電気
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山水電気(さんすいでんき)株式会社は、東京都渋谷区に本社を置く日本の音響機器メーカーである。
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[編集] 概要
- 本店所在地 東京都渋谷区東2-23-3
- 資本金 18,646百万円
- 代表者 代表取締役社長 中道武
- 従業員数 16人(連結・2005年12月31日現在)
- 東証1部・大証1部上場(証券コード:6793)
[編集] 特徴
かつての音響機器メーカー名門。会社設立初期はトランスの生産・販売が主な事業内容であったが、後にオーディオ機器生産・販売へシフトした。ステレオアンプ技術に定評があり、オーディオブーム全盛の頃にはケンウッド(当時の社名はトリオ)・パイオニアと並びオーディオ御三家と呼ばれていたが、オーディオブームの衰退、バブル崩壊後の景気低迷、デジタル化の波により経営が悪化、自社の製造拠点はなくなった。
現在でも山水のアンプは中古オーディオ機器として人気があり、山水ブランドのトランスの製造・販売・宣伝は、1979年に橋本電気へ移管され継続している。
[編集] レシーバ MODEL5000
山水をオ-ディオ製品から考察した時に世界に「SANSUI」と言う名前(ブランド)を広めた特筆すべき製品が存在する。 1969年に海外向けに商品化されたレシーバ (AM-FM 2BAND) で MODEL5000 と呼ばれ「SANSUI」の名を世界に広めるエポックメーキングとなった製品と評価して過言ではない。MODEL5000はおりしもベトナム戦地の米軍特需(PXストア)からまたたくまに有名になったという当時の時代背景に乗った運があった。 MODEL5000は当時アジアの基地に溢れかえった米兵の間で凄まじい人気となって広がりサイゴンに本拠を構えるバイヤー (US MACV) は月5000台あっても足りないと驚きの声を上げていた。そのMODEL5000は5000A、5000Xと3代に渡って続くのであるが本体のデザインは最後まで変わることはなかった。これはレシーバの品質はもとよりMODEL5000が採用したデザインスタイルがその後の本流となってしまったからである。MODEL5000は当然ながら音質の良さが売りであったのだが大型の黒パネルにパワーオンと同時に色鮮やかなグリーンの「スカイライン」(周波数表示領域のスケール)が浮き上がると言うデザインが爆発的な大当たりとなったのである。 このMODEL5000の出現を機にオーディオ各社は同様のスタイルに一斉に製品作りをシフトすることとなった。それまでのレシーバと言えば透明アクリルの窓を透して周波数表示領域のスケールと文字が見えるだけと言うスタイルが主流であった。MODEL5000のデザインは当時としてはまさに目の覚めるような斬新さを与えたのであった。 MODEL5000の人気はPXストア (Asia/Nato) から米兵の帰還と共に全米に「SANSUI」の名を広めることとなるのだが、更に基地から一般ローカル市場に流れて「SANSUI」の名は海外に広く知れ渡って行ったのである。 MODEL5000は山水の歴史にとって間違いなく金字塔的存在であったが、国内市場には投入されなかったため日本のオーデイオファンには残念ながらこの大ヒットレシーバのことは知られることがなかった。
[編集] 創設者菊池幸作の社是・理念
創設者の菊池幸作社長は山水電気の社名を社是で「山のごとき不動の理念と水の如き潜在の力」と表現した。経営理念としては「高品質・高信頼性」をモットーにして得意のトランスを基調にHI-FIアンプの生産・販売を1954年に開始した。90%以上を世界で販売して高級アンプのブランド「sansui」として名を馳せオーディオファンに広く親しまれた。
現在中国に生産拠点が移りオーディオ以外の家電も扱っているが山水ブランドは健在であり創設者の社是・理念はその後も綿々と引き継がれている。
[編集] 沿革
- 1944年12月 - 創業者・菊池幸作が山水電気製作所を開設
- 1947年6月 - 山水電気株式会社設立
- 1953年8月 - ステレオアンプの生産を開始
- 1957年1月 - 輸出用にプリメインアンプの生産を開始
- 1970年3月 - 東京・大阪証券取引所市場第1部に上場
- 1992年6月 - アカイホールディングス(旧セミテック・香港)の資本参加を受ける
- 2001年11月 - アカイホールディングスが破綻し、グランデ ホールディングス(香港)の傘下に入る。
- 2002年10月 - 映像情報機器分野へ参入したが採算悪化のため休止
- 2003年4月 - 本社を東京都小平市から東京都渋谷区に移転
- 2004年11月 - 子会社、サンスイ・セールス・ピーティーイー・リミテッドを取得
[編集] 山水電気厚生年金基金
1972年1月1日、従業員の老後生活の安定を目的に山水電気厚生年金基金が設立された。基金は会社の経営状況と運用環境の悪化により2001年に解散することになったが、110億円にのぼる資産を受給中者と加入員に分配している。