川又克二
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川又 克二(かわまた かつじ、1905年3月1日 - 1986年3月29日)は日本の実業家。
[編集] 来歴・人物
茨城県水戸市生まれ。旧制京北中学校(現京北高等学校)を経て、1929年東京商科大学(現一橋大学)卒。
1929年日本興業銀行(現みずほ銀行)入行。大日本帝国陸軍主計幹部候補生、日本興業銀行融資事業部長、同広島支店長等を経て、1947年日産自動車常務取締役就任。同専務を経て1957年同社長。1959年日産ディーゼル工業会長兼務、1967年日本自動車工業会初代会長、1973年日産会長。1983年から相談役。1986年3月29日死去。享年81。
プリンス自動車との合併を経て日産自動車を日本第二の自動車メーカーに至らしめたが、厳しい労働運動に対処するために自動車総連会長の塩路一郎との間で癒着とも称される密接な関係を形成する等の禍根を残した経営者でもある。
日産の名車「ブルーバード」「セドリック」「フェアレディ」の名付け親でもある。
[編集] 関連項目
- 茨城県出身の有名人一覧
- 箕浦多一
- 浅原源七
- 岩越忠恕
- 石原俊
- 久米豊
- 辻義文
- 塙義一