戸塚宏
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戸塚 宏(とつか ひろし、1940年9月6日 - )は、日本の各種学校経営者。戸塚ヨットスクール校長。
朝鮮の清津生まれ。名古屋市立菊里高校、名古屋大学工学部機械工学科卒。在学中にヨットに出会う。
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[編集] 来歴
- 1975年 - 沖縄海洋博覧会記念太平洋横断レースで突出した記録を残し、注目を浴びた。太平洋シングルハンド(一人乗りヨット)横断の世界記録41日を達成した。
- 1976年 - 株式会社戸塚ヨットスクール開校。当初はオリンピックでメダルを獲れるようなセイラーを育成するためのスクールとして発足したが、不登校などの情緒障害児の更生に効果があると評判になり、マスコミで紹介されてからは、もっぱら情緒障害児の治療を目的とした活動へとシフトしていった。同スクールの合宿に参加した東京新聞の記者が著した「スパルタの海」では、同スクールの活動が生々しく報告されている。コーチ陣の過度の訓練・体罰が近因となり死者4名を出す。
- 1983年6月13日 - コーチと共に監禁・傷害致死の容疑で逮捕。
- 1986年7月 - 保釈される。早稲田祭で人物研究会の招きにより講演。以後も日本テレビ「EXテレビ」など各種メディアに登場、脳幹を鍛えれば癌やアトピー、うつ病、登校拒否などあらゆる病状を克服できる趣旨の「脳幹論」を肝とした持論を展開する。
- 1995年 - 右派の政治政党維新政党・新風に、賛同者の一人として名を連ねる。
- 1999年 - 「電磁界等を考えるシンポジウム京都会議」に、発起人の一人として名を連ねる。
- 2002年2月15日 - 最高裁判所は上告を棄却。
- 2002年3月11日 - 無罪を主張するが退けられ懲役6年の刑が確定。「教育か、暴力か」が争点となったが、教育と認定された一審から一転、控訴審・上告審では暴行と認定された。現在も体罰との因果関係は一切無かったとして無罪を主張している。
- 2002年3月29日 - 名古屋高等検察庁へ出頭。静岡刑務所に収監される。
- 2006年4月29日 - 静岡刑務所を満期出所。
- 2006年10月 - スクール再開後の2006年10月にスクールを逃げ出した25歳の男性訓練生が知多湾で水死。
[編集] 人物
収監前の記者会見では「出所後は私立小学校を開設したい」と抱負を述べていたが、出所後に静岡駅で支援者とともに会見した時には、ヨットスクールを続けていきたいと語った。
反戸塚ヨットスクールキャンペーンの先頭に立った『サンデー毎日』の毎日新聞社を猛烈に憎んでおり(逮捕を報じた号では手錠をかけられて護送される写真が表紙を飾ったこともあった)、同社の取材には一切応じない、との説もあったが、毎日新聞は出所直後の静岡市内での記者会見の内容(「体罰は教育だ」などの発言)をいち早く報じている(支援する会のウェブサイトには以前、取材拒否する旨の記載があった)。
[編集] 著書
- 1976年 - 『太平洋一直線』オーシャンライフ オーシャンブックス
- 1983年 - 『私が直す!』飛鳥新社
- 1983年1月 - 『孤独の挑戦』ズーム社 Zoom Books ISBN 480330758X
- 1983年1月 - 『私はこの子たちを救いたい - "殴らない父"と"愛しすぎる母"へ』光文社 カッパビジネス ISBN 4334011500
- 1985年11月 - 『私が直す!』角川書店 角川文庫 ISBN 4041620015
- 1985年11月 - 『獄中記』飛鳥新社 ISBN 4870310201
- 1988年6月 - 『敵は脳幹にあり』アポロ出版 ISBN 4874547028
- 1992年7月 - 『こんな輩が子供をダメにする - 偽善を排す異論・暴論63』太陽企画出版 ISBN 4884662059
- 1992年8月 - 『熱論戸塚宏 - 反平等主義論』フローラル出版 ISBN 4930831040
- 2003年4月 - 『教育再生 - これで子供は救われる』大洋図書 ISBN 4813010741