散打
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
散打(サンダ)は従来の中国武術に基づいて開発された比較的新しい格闘技。 散手とも言われる。 レオン・チウ (Leon Chiu) は詠春拳、洪家拳、少林拳などの経験を背景にこの武道を創立した。 1997年頃からはプロ格闘技としてアメリカと中国で試合が開催されるようになる。
従来の中国武術は競技化されていなかったため、ルールのある試合ではタイのムエタイ、日本の空手、韓国のテコンドーなどにどうしても遅れをとっていた。
他国の格闘技のルールと中国武術の技法を検討して他流試合などを行い、試行錯誤を繰り返して従来の格闘技のルールの隙間を縫うように立ち技ながらも投げ主体(投げによるポイントはダウンと同程度)、蹴り技はサイドキックを多用、崩れたところにフック気味のパンチで抱きついて投げを打つというスタイルに落ち着いた。
日本においてはシュートボクシングやK-1との交流試合を行ったことで一般に知られるようになった。 2004年7月には、張慶軍(ジャン・チンジュン)と言う散打の選手が、日本の元力士である曙太郎とK-1ルールで試合を行い、当時18歳という若さながら、判定で勝利を収めている。また、張は2005年にWBCムエタイのヘビー級初代インターナショナル王者の座に就いている。
そのほかにも、シュートボクシングのリングで中国人散打選手の鄭裕蒿(ジョン・イーゴ)が活躍するなど、徐々に散打の立ち技格闘技での地位が向上している。
試合模様については、すぐにクリンチ状態になる散打選手に対し批判が多かったが、そもそも散打は組み付きと投げを基本とし、打撃がそれを補佐するという技術体系であるため、試合がこのような状態になるのは仕方のないことであった。
なお、散打とはもともとスパーリングや組手に類する行為をあらわす呼称であり、中国拳法などで技術交流のために開かれる大会も散打大会などと呼ばれる。