新谷博
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新谷 博(しんたに ひろし、1964年7月14日- )は、西武ライオンズ、日本ハムファイターズに所属した投手である。2001年限りで現役を引退、2004年まで日本ハムの投手コーチだった。2005年は尚美学園大学女子硬式野球部の監督に就任した。HBCラジオ解説者でもある。
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[編集] 来歴・人物
佐賀商業高校時代の1982年、夏季甲子園大会に出場し、9回二死まで対戦相手に一人の走者も許さず、あと1人で完全試合というところで死球を与え、史上初の快挙を逃した。これは今も甲子園の伝説のひとつとして語られる(青森県代表・木造高校戦。無安打無得点試合は達成した)。同年のドラフトでヤクルトから2位指名を受けるが拒否している。
1991年のドラフトで西武から2位指名され、1992年入団。黄金期の西武で先発として活躍し、1994年に規定投球回と同じ130イニングを投げ、最優秀防御率に輝く。日本ハム移籍後は中継ぎで活躍した。2001年限りで引退し、日本ハムの投手コーチを務める。2004年退任。翌年の2005年11月1日に、自らが監督を務める社会人野球のクラブチームを、自身の故郷である佐賀県に設立することを明らかにした。チーム名は「佐賀魂」。
[編集] 略歴
- 身長・体重:1m83cm、77kg
- 投打:右/右
- 出身地:佐賀県佐賀市
- 血液型:B
- 球歴・入団経緯:佐賀商-駒沢大-日本生命-西武ライオンズ(1992年~1999年)-日本ハムファイターズ・北海道日本ハムファイターズ(2000年~2004年)
- ドラフト年度・順位:1991年・2位
[編集] 背番号
- 17(1992年~1999年)
- 60(2000年~2001年)
- 81(2002年~2004年)
[編集] 高校時代の戦歴
- 1982年第64回全国高等学校野球選手権大会に出場。1回戦の木造高校戦で無安打無得点試合。3回戦で敗退。
[編集] 通算成績
- 238試合登板 54勝 47敗 14セーブ 724奪三振 防御率3.64
[編集] タイトル・記録
- 最優秀防御率 1994年
- オールスター出場 1994年
[編集] エピソード
- 2005年6月26日放送のTBSラジオ・伊集院光 日曜日の秘密基地に出演し、草野球の若手芸人チーム相手に西武時代のユニホーム姿(背番号17)で、3度打席に入った。プロ入り前に本塁打を放ったこともある新谷だが、草野球の軟球になじめず、3打数0安打に倒れた。