日本トランスオーシャン航空
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日本トランスオーシャン航空株式会社(JTA)(にほんトランスオーシャンこうくう、Japan Transocean Air Co.,Ltd.)は、日本の航空会社の一つ。JAL(日航)グループの一企業で、株式会社日本航空インターナショナル、那覇空港ターミナル株式会社、沖縄県等が株主の第三セクター企業である。
1967年(昭和42年)、沖縄県にて、日本航空と地元の資本により南西航空株式会社として設立。沖縄本島の那覇空港から離島を結ぶ路線を中心に、沖縄県民の翼として活躍した。1993年(平成5年)7月1日、社名(商号)を南西航空株式会社から日本トランスオーシャン航空に変更し、沖縄を中心に国内ネットワークを広げ、同時にJALグループの国内線ウェットリース事業も行っている。
南西航空時代の英文名称はSouthwest Airlinesであったが、アメリカのサウスウエスト航空とは何の関係もない。
目次 |
[編集] 概要
社名 | 日本トランスオーシャン航空株式会社 Japan Transocean Air, Co.,Ltd. |
設立 | 1967年6月20日 |
本社住所 | 沖縄県那覇市山下町3-24 |
従業員数 | 737名(2005年4月1日現在) |
資本金 | 4,537,200,000円 (JALインターナショナル51%、沖縄県12.9%他) |
航空会社コード | JTA/NU |
無線呼出名称 (コールサイン) |
J OCEAN(ジェイオーシャン) |
拠点空港 | 那覇空港 |
[編集] 沿革
- 1967年6月20日 南西航空株式会社(略称SWAL)発足
- 同年7月1日 CV-240、ビーチH-18(ビーチクラフト)の2機種で運航開始。就航路線は那覇-石垣・宮古・久米島・南大東、宮古-石垣、石垣-与那国の6路線。
- 同年12月 ビーチH-18退役(日本航空へ返還、機種はCV-240のみに)
- 1968年6月8日 YS-11就航(当初の就航路線は那覇-石垣・宮古各線)。
- 同年12月 CV-240退役(日本航空へ返還、機種はYS-11のみとなる)。
- 1972年5月15日 本土復帰により、日本国の航空法が適用される。
- 1973年7月 運輸大臣から定期航空運送事業の免許を取得
- 同年12月 DHC-6就航。与那国空港が国の航空法適用により滑走路が800mでの供用になったため、同空港唯一の路線だった石垣線にこれまでのYS-11に替わって就航。
- 1974年7月26日 (旧)多良間空港開港により、宮古-多良間-石垣線開設。
- 同年8月 南大東空港が国の航空法適用により滑走路が800mでの供用となり、DHC-6のみの運航となる。
- 1975年7月20日 沖縄国際海洋博覧会開催に合わせ伊江島空港が開港、同時に那覇-伊江島の路線就航(全日空と同時、使用機種YS-11、1976年1月の海洋博覧会終了とともに休止)
- 1976年5月20日 波照間空港開港により、石垣-波照間線就航(使用機種DHC-6)
- 同年7月24日 那覇-伊江島線、DHC-6により運航再開(1977年2月に利用客低迷により休止)
- 同年12月15日 那覇-多良間線就航(DHC-6、1987年2月廃止)
- 1978年6月30日 北大東空港開港により、那覇-北大東線開設(DHC-6)
- 同年7月6日 粟国空港開港により、那覇-粟国線開設(DHC-6)
- 同年7月17日 当社初のジェット旅客機となるボーイング737-200(B737-200)が導入(同日那覇空港に到着、24日から日本航空の那覇-福岡線にウェットリースという形で就航(~10月15日))
- 同年8月22日 初の沖縄県外路線となる那覇-与論線開設(YS-11)
- 同年12月1日 那覇-宮古線に初のジェット機であるB-737-200就航、本格的な運航開始となる
- 1979年5月15日 那覇-石垣線にB-737-200就航(石垣空港にとって初のジェット機就航)
- 同年8月10日 那覇-沖永良部線開設(YS-11)
- 1980年11月1日 那覇-下地線開設(YS-11、1994年7月22日休止)
- 同年11月3日 那覇-沖永良部線を与論経由に変更(1987年11月与論-沖永良部線廃止)
- 1982年8月26日 那覇発石垣行き611便が石垣空港でオーバーラン事故
- 1985年11月23日 のちに子会社となる琉球エアーコミューター(RAC)設立
- 1986年4月 当社初の旅行商品となる「スワルプラン」(現社名変更後はJ-TAP)発売開始
- 同年11月1日 当社初の本格的な沖縄県外路線(本土路線)となる那覇-松山線就航(B737-200)
- 1987年2月12日 与那国空港の滑走路が1500mに延長に伴い、石垣-与那国線にDHC-6に替わってYS-11が再就航
- 同年2月15日 当社専用の那覇空港国内線第2ターミナルビルが旧国際ターミナルビル跡に移転
- 1988年3月11日 那覇-岡山線開設(松山線に次ぐ2路線目の本土路線就航)
- 1989年7月22日 那覇空港以外では初の県外路線となる東京羽田-宮古線(直行便)開設(B737-200)
- 1990年7月21日 東京-宮古・那覇-宮古両路線にボーイング767-300(B767-300)が日本航空(JAL)からのウェットリースという形で就航(8月31日までの夏季限定、以降毎年7月後半~8月に就航される)
- 1991年6月1日 那覇-小松線開設(B737-200)
- 同年10月28日 当社初の海外チャーター便となる那覇-ソウル(金浦)線が運航(台風接近により前日27日に岡山経由で実施)
- 1992年4月24日 那覇-名古屋線をJALから一部移管(1993年1月から完全移管、1995年5月10日に再びJALに移管)、名古屋-山形線を開設(1995年5月10日にJALに移管、現在はJ-AIRでの運航)。またB767-300をこの年に限り1年間JALからリースで就航(~1993年4月7日、5月中旬からはSWAL塗装での運航)
- 同年11月16日 当社のDHC-6就航路線全路線を子会社の琉球エアーコミューターに移管
- (移管対象路線:那覇-南大東・北大東・粟国、宮古-多良間-石垣、石垣-波照間)
- 1993年4月8日 これまでのB767-300に替わり、B767-200が就航(~1995年、JALからのリース、塗装が現社名塗装となる)
- 同年4月22日 那覇-鹿児島線開設(1970年代から検討してようやく実現が2001年3月で休止、2006年2月からJALで運航再開)
- 同年7月1日 南西航空から現社名の日本トランスオーシャン航空株式会社(略称JTA)に社名変更
- 同年7月21日 現社名に変更後初の路線開設となる東京-石垣線就航(B737-200、石垣空港にとって初の本土直行便となる。但し石垣発東京行は宮古経由)
- 1994年7月22日 最新機種のボーイング734-400(B737-400)を導入、那覇-宮古線に就航(以後各路線に就航)。
- 同年9月4日 関西-石垣線開設
- 1995年4月 B737-400のJALへのウェットリース開始
- 1996年9月20日 日本アジア航空(JAA)とのウェットリースによる石垣-台北線のチャーターフライト就航
- 1997年4月15日 那覇-与論線を子会社の琉球エアーコミューターに移管(同社の最新機種DHC-8-100導入に伴うもの、機材もYS11から変更)
- 同年7月18日 久米島空港の滑走路が2000mへ延長されジェット化に伴い、那覇-久米島線がこれまでのYS11に替わって同空港初のジェット旅客機となるB737-200が就航。また同時に東京-久米島線も開設(~9月、以降翌年から6月~9月の季節限定運航となる)
- 同年8月1日 東京-那覇線が開設(当社初の国内幹線路線の就航、最終便のみだが10月~翌年5月には那覇発のみ午前便が増便)
- 1998年10月1日 那覇-高知線開設(松山線と交互で週3日の運航)
- 1999年5月26日 那覇空港国内線ターミナルビルが現在地に移転・供用開始。これにより国内線ターミナルビルが統合され、これまで別ビルだったJALや全日空(ANA)グループ、日本エアシステム(JAS・現在はJALに統合)との乗換えが便利になる。
- 同年7月1日 関西-那覇線開設
- 同年7月15日 YS11が与那国空港のジェット化に伴い退役
- 同年7月16日 与那国空港のジェット化に伴い、石垣-与那国線がこれまでのYS11に替わって同空港初のジェット旅客機となるB737-200が就航。
- 2001年4月1日 福岡-那覇線開設(JALの一部を移管)、那覇-福島線をJALから移管・開設
- 2002年2月9日 当社初のジェット旅客機であるボーイング737-200(B737-200)が退役(以降機種はB737-400のみとなる)
- 同年7月16日 那覇-富山線開設(以後2005年まで7月中旬~8月の夏季限定運航)
- 同年10月 持株会社日本航空システム(現在の日本航空)発足に伴い、当社は日本航空インターナショナル(従来の日本航空)の子会社となる。
- 2003年1月 ロゴ・航空機デザインを現在のものに変更(現デザイン機初号機就航は2月より)
- 同年7月17日 大阪伊丹-石垣線開設、同時に石垣発大阪行が宮古経由となるため宮古→大阪線(宮古発の片道のみ)も開設(それにともない石垣発関西行の経由地が那覇空港となる)。
- 2006年3月16日 那覇-北九州線開設
[編集] 就航路線
- 那覇空港 - 東京国際空港、福島空港、小松空港、関西国際空港、岡山空港、松山空港、高知龍馬空港、新北九州空港、福岡空港、久米島空港、宮古空港、石垣空港
- 宮古空港 - 東京国際空港、大阪国際空港(宮古空港発のみ)、石垣空港
- 石垣空港 - 東京国際空港(石垣空港発は宮古空港経由)、大阪国際空港(石垣空港発は宮古空港経由)、関西国際空港(石垣空港発は那覇空港経由)、与那国空港
- 久米島空港 - 東京国際空港(夏期季節運航)
[編集] 機材
[編集] 現在の機材
- 保有機材
- ボーイング737-400(15機保有) JALやJEX就航路線(便名はJAL)にもウェットリースという形で使用されている。導入中に生産終了したため、一部は中古機のリースとなっている。
- JALからのウェットリース機材
- ボーイング767-300(7月中旬~8月の夏季限定で東京-宮古、那覇-宮古両路線で使用される)
[編集] かつての機材
- YS-11が導入するまでの機材(いずれもJALからのリース)
- YS-11導入以降の使用機材
- YS-11(1968年~1999年、最盛期の1970年代後半に8機保有) 設立当時から宮古・石垣両空港がジェット化するまで主力機、以降久米島空港がジェット化するまで準主力機として活躍
- DHC-6(ツインオッター・1973年~2002年、4機) 本土復帰後の日本の航空法適用によりYS-11が就航不可能の空港に対応するために導入、以後滑走路が短い小さな離島空港に就航。1992年に琉球エアーコミューター(RAC)に移管した後も整備は引き続き当社が行っていた。
- ボーイング737-200(1978年~2002年、11機導入) ジェット化から現在のB737-400導入するまでの主力機として活躍
- JALからのリース機材
- ボーイング767-200(1992年~1995年) 那覇-名古屋-山形線就航時に使用され、塗装もJTA自社のものに塗装された
[編集] 整備を委託しているJALグループ他社機材
- ボンバルディア社機材
- CRJ200(ジェイエア)
- DHC-8-100(琉球エアーコミューター)
- ボンバルディア社以外の機材
- ブリテン・ノーマン アイランダー(琉球エアーコミューター) ほか
[編集] 備考
機体のカラーは、社名変更時にJALグループを意識したデザインに変更されている。
[編集] JALグループ企業 (グループ企業のうち、航空事業者)
JALグループは2007年初頭にも「ワンワールド」に加盟するが、※のある航空会社は経営施策上ワンワールドには加盟しない。
- 日本航空(持株会社)
- 日本航空インターナショナル(JAL)
- 日本トランスオーシャン航空(JTA)
- JALエクスプレス(JEX)
- 日本アジア航空(JAA)
- JALウェイズ(JAZ)
- ジェイエア(J-AIR)
- (「運送の共同引受」により全便をJAL便として運航。法人名として表記する以外は対外的には「ジェイ・エア」を使用)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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