村上朝一
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村上 朝一(むらかみ ともかず、1906年(明治39年)5月25日-1987年(昭和62年)2月13日)は、福岡県出身の第6代最高裁判所長官。白面の貴公子を思わせる端正な顔立ちで、目立つことを嫌い、言葉も「どうしたら短く話せるか」を心がける寡黙な人であった。1976年(昭和51年)11月3日、勲一等旭日大綬章受章。父も兄も医者。長男は東京大学法学部教授を歴任したドイツ法専攻の村上淳一。従二位に叙された。
[編集] 略歴
- 第三高等学校、東京帝国大学法学部卒業。
- 1929年(昭和4年) 大阪で裁判官に任官。
- 1940年(昭和15年) 司法省民事局第四課長。
- 1942年(昭和17年) 陸軍司政官として、インドネシアのジャワに赴任。
- 1948年(昭和23年) 法務庁(現:法務省)民事局長として、民法の大改正に携わる。
- 1958年(昭和33年) 最高検察庁公判部長
- 1963年(昭和38年) 横浜地方裁判所所長に就任。その後、東京高等裁判所判事、仙台高等裁判所長官、東京高等裁判所長官を歴任。
- 1968年(昭和43年) 最高裁判所判事に就任。
- 1973年(昭和48年)5月21日 石田和外に続く職業裁判官として、第6代最高裁判所長官に就任。
- 1976年(昭和51年)5月25日 最高裁判所長官を藤林益三に引継ぎ、定年退官。
[編集] 参考文献
- 山本祐司『最高裁物語(上・下)』(日本評論社、1994年)(講談社+α文庫、1997年)