従二位
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従二位(じゅにい)は、日本の位階及び神階における位の一つ。正二位の下、正三位の上に位する。
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[編集] 従二位
律令制下において従二位は、主に内大臣や蔵人別当の位とされ、大臣の正室などもこの位が贈られた。著名なのは平清盛の正室 平時子であり従二位に叙せられ、二位尼と称されている。従二位は公卿の位階としても高位であり、武士の間では鎌倉時代から室町時代にかけては、北条政子以来、将軍の正室である御台所に与えられることはあっても、将軍の一門ですら叙せられることはなかった。足利将軍家の一門たる鎌倉公方も従三位であり、たとえ室町幕府管領の職にある者であっても最高位は三位どまりであった。戦国時代に入ると、武士の官途を担っていた室町幕府の統制が崩れ、次第に有力大名が時下に朝廷に献金し猟官運動を行うことが盛んになり、西国一の有力守護 大内義隆が従二位に叙せられる異例の叙位がなされている。さらに、豊臣秀吉が関白宣下を受けて以降、次第に有力な一門や家臣が従二位に昇り、二位以上に昇る武士も登場するようになった。江戸時代以降は徳川将軍家の一門たる御三家、御三卿が従二位権大納言に昇る例がみられるなど、徳川姓を名乗る一門の極位極官ともなった。
[編集] 従二位に叙された人物
日付は叙位日。没時追賜の場合は直前の位階を参考付記。
[編集] 中世
[編集] 近世
[編集] 日本国憲法施行後
いずれも没時追賜。
- 武井守成(式部官長) 1949年(昭和24年)12月14日 (従三位)
- 三浦謹之助(東京帝国大学教授) 1950年(昭和25年)10月11日 (正三位)
- 長岡半太郎(貴族院議員、日本学士院長、大阪大学総長) 1950年(昭和25年)12月11日 (正三位)
- 穗積重遠(最高裁判所判事) 1951年(昭和26年)7月29日 (正三位)
- 田中館愛橘(貴族院議員、東京帝国大学教授) 1952年(昭和27年)5月21日 (正三位)
- 幣原坦(台北帝国大学総長) 1953年(昭和28年)6月29日 (正三位)
- 前田米蔵(運輸通信大臣) 1954年(昭和29年)3月18日 (正三位)
- 羽田亨(貴族院議員、京都帝国大学総長) 1955年(昭和30年)4月13日 (正三位)
- 松平康昌(式部官長) 1957年(昭和32年)1月4日 (従三位)
- 重光葵(外務大臣) 1957年(昭和32年)1月26日 (正三位)
- 野村行一(東宮大夫) 1957年(昭和32年)7月29日 (正三位)
- 安藤廣太郎(日本学士院会員) 1958年(昭和33年)10月14日 (正三位)
- 岡田忠彦(衆議院議長) 1958年(昭和33年)10月30日 (正三位)
- 金森徳次郎(国務大臣) 1959年(昭和34年)6月16日 (従三位)
- 芦田均(内閣総理大臣) 1959年(昭和34年)6月20日 (従三位)
- 河本文一(会計検査院長) 1960年(昭和35年)2月22日 (正三位)
- 石黒忠篤(農商大臣) 1960年(昭和35年)3月10日 (正三位)
- 林讓治(衆議院議長) 1960年(昭和35年)4月5日 (正五位)
- 河井彌八(参議院議長) 1960年(昭和35年)7月21日 (正三位)
- 豊田貞次郎(外務大臣) 1961年(昭和36年)11月21日 (正三位)
- 熊谷岱藏(東北大学総長) 1962年(昭和37年)2月19日 (正三位)
- 入江誠一郎(人事院総裁) 1962年(昭和37年)7月25日 (正三位)
- 眞島利行(大阪帝国大学総長) 1962年(昭和37年)8月19日 (正三位)
- 松野鶴平(参議院議長) 1962年(昭和37年)10月18日 (従三位)
- 勝沼精蔵(名古屋大学長) 1963年(昭和38年)11月10日(正三位)
- 大野伴睦(衆議院議長) 1964年(昭和39年)5月29日 (無位)
- 芳澤謙吉(外務大臣) 1965年(昭和40年)1月5日 (正三位)
- 河野一郎(農林大臣) 1965年(昭和40年)7月8日 (従五位)
- 山田三良(日本学士院長、東京大学名誉教授) 1965年(昭和40年)12月17日 (正三位)
- 下條康麿(文部大臣) 1966年(昭和41年)4月25日 (正三位)
- 小原直(法務大臣) 1966年(昭和41年)9月8日 (正三位)
- 清瀬一郎(衆議院議長) 1967年(昭和42年)6月27日 (無位)
- 山梨勝之進(海軍次官、学習院長) 1967年(昭和42年)12月17日 (正三位)
- 正力松太郎(国務大臣) 1969年(昭和44年)10月9日 (正六位)
- 牧野英一(貴族院議員、東京大学名誉教授) 1970年(昭和45年)4月18日 (正三位)
- 藤田尚徳(侍従長) 1970年(昭和45年)7月23日 (正三位)
- 川島正次郎(国務大臣) 1970年(昭和45年)11月9日 (正五位)
- 加藤鐐五郎(衆議院議長) 1970年(昭和45年)12月20日 (正五位)
- 松村謙三(文部大臣) 1971年(昭和46年)8月21日 (従三位)
- 佐藤尚武(参議院議長) 1971年(昭和46年)12月18日 (正三位)
- 入江俊郎(最高裁判所判事) 1972年(昭和47年)7月18日 (正四位)
- 内田祥三(東京帝国大学総長) 1972年(昭和47年)12月14日 (正三位)
- 稲田周一(侍従長) 1973年(昭和48年)2月5日 (正四位)
- 石橋湛山(内閣総理大臣) 1973年(昭和48年)4月25日 (正八位)
- 益谷秀次(衆議院議長) 1973年(昭和48年)8月18日 (従五位)
- 我妻榮(貴族院議員、東京大学名誉教授) 1973年(昭和48年)10月21日 (正四位)
- 愛知揆一(大蔵大臣) 1973年(昭和48年)11月23日 (?)
- 南原繁(日本学士院長、東京帝国大学総長) 1974年(昭和49年)5月19日 (従三位)
- 廣瀬久忠(厚生大臣) 1974年(昭和49年)5月22日(正三位)
- 佐藤達夫(人事院総裁) 1974年(昭和49年)9月12日 (実質的な直前位階は正五位。没日に正三位に追陞、即日再追陞で従二位に)
- 霜山精一(大審院長) 1975年(昭和50年)3月12日 (正三位)
- 八木秀次(参議院議員、大阪帝国大学総長) 1976年(昭和51年)1月19日 (正三位)
- 重宗雄三(参議院議長) 1976年(昭和51年)3月13日 (無位)
- 宮澤俊義(貴族院議員、立教大学法学部長) 1976年(昭和51年)9月4日 (従四位)
- 鳥養利三郎(京都帝国大学総長) 1976年(昭和51年)9月24日 (従三位)
- 水田三喜男(大蔵大臣) 1976年(昭和51年)12月22日 (無位)
- 正田建次郎(大阪大学長) 1977年(昭和52年)3月20日 (正五位)
- 片山哲(内閣総理大臣) 1978年(昭和53年)5月30日 (無位)
- 保利茂(衆議院議長) 1979年(昭和54年)3月4日 (従五位)
- 船田中(衆議院議長) 1979年(昭和54年)4月12日 (正五位)
- 石田和外(最高裁判所長官) 1979年(昭和54年)5月9日 (従五位)
- 朝永振一郎(日本学術会議会長) 1979年(昭和54年)7月8日 (正六位)
- 椎名悦三郎(外務大臣) 1979年(昭和54年)9月30日 (正四位)
- 星島二郎(衆議院議長) 1980年(昭和55年)1月3日 (正五位)
- 天野貞祐(文部大臣) 1980年(昭和55年)3月6日 (従三位)
- 中山伊知郎(一橋大学長) 1980年(昭和55年)4月9日 (従四位)
- 後藤文夫(内務大臣) 1980年(昭和55年)5月13日 (正三位)
- 前尾繁三郎(衆議院議長) 1981年(昭和56年)7月23日 (正五位)
- 湯川秀樹(京都大学名誉教授) 1981年(昭和56年)9月8日 (従五位)
- 石井光次郎(衆議院議長) 1981年(昭和56年)9月20日 (正六位)
- 田中二郎(最高裁判所判事) 1982年(昭和57年)1月16日 (正五位)
- 高橋誠一郎(文部大臣、日本芸術院長) 1982年(昭和57年)2月9日 (無位)
- 青木一男(大蔵大臣) 1982年(昭和57年)6月25日 (正三位)
- 東畑精一(東京大学名誉教授) 1983年(昭和58年)5月6日 (従四位)
- 河野謙三(参議院議長) 1983年(昭和58年)10月16日 (無位)
- 森戸辰男(文部大臣、広島大学長) 1984年(昭和59年)5月28日 (無位)
- 横田正俊(最高裁判所長官) 1984年(昭和59年)7月1日(従四位)
- 中村梅吉(衆議院議長) 1984年(昭和59年)8月4日 (正五位)
- 牛場信彦(国務大臣) 1984年(昭和59年)12月31日 (従五位)
- 三谷隆信(侍従長) 1985年(昭和50年)1月13日(従三位)
- 藤山愛一郎(外務大臣) 1985年(昭和60年)2月22日 (無位)
- 入江相政(侍従長) 1985年(昭和60年)9月29日 (従五位)
- 安井謙(参議院議長) 1986年(昭和61年)3月10日 (無位)
- 村上朝一(最高裁判所長官) 1987年(昭和62年)2月13日(従五位)
- 西村英一(建設大臣) 1987年(昭和62年)9月15日 (正五位)
- 福永健司(衆議院議長) 1988年(昭和63年)5月31日 (無位)
- 土光敏夫(経済団体連合会会長) 1988年(昭和63年)8月4日 (無位)
- 茅誠司(東京大学総長) 1988年(昭和63年)11月19日 (従四位)
- 東久邇稔彦(旧皇族、内閣総理大臣) 1990年(平成2年)1月20日 (無位)
- 徳永正利(参議院議長) 1990年(平成2年)9月23日 (正八位)
- 宇佐美毅(宮内庁長官) 1991年(平成3年)1月19日 (正五位)
- 安倍晋太郎(外務大臣) 1991年(平成3年)5月15日 (無位)
- 横田喜三郎(最高裁判所長官) 1993年(平成5年)2月17日 (従四位)
- 服部高顯(最高裁判所長官) 1993年(平成5年)3月24日 (従五位)
- 灘尾弘吉(衆議院議長) 1994年(平成6年)1月22日 (従四位)
- 岡原昌男(最高裁判所長官) 1994年(平成6年)7月14日(従五位)
- 下田武三(特命全権大使、最高裁判所判事) 1995年(平成7年)1月22日 (従五位)
- 渡邉美智雄(外務大臣) 1995年(平成7年)9月15日 (無位)
- 徳川義寛(侍従長) 1996年(平成8年)2月2日 (正五位)
- 高辻正己(最高裁判所判事、法務大臣) 1997年(平成9年)5月20日 (従五位)
- 福田一(衆議院議長) 1997年(平成9年)9月2日 (無位)
- 福井謙一(日本学術振興会会長) 1998年(平成10年)1月9日 (従六位)
- 宇野宗佑(内閣総理大臣) 1998年(平成10年)5月19日 (?)
- 原文兵衛(参議院議長) 1999年(平成11年)9月7日 (正六位)
- 二階堂進(国務大臣) 2000年(平成12年)2月3日 (?)
- 伊藤宗一郎(衆議院議長) 2001年(平成13年)9月4日 (正八位)
- 寺田治郎(最高裁判所長官) 2002年(平成14年)3月17日 (従七位)
- 櫻内義雄(衆議院議長) 2003年(平成15年)7月5日 (無位)
- 坂田道太(衆議院議長) 2004年(平成16年)1月13日 (無位)
- 原健三郎(衆議院議長) 2004年(平成16年)11月6日 (無位)
- 矢口洪一(最高裁判所長官) 2006年(平成18年)7月25日 (正七位)