松平輝綱
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松平 輝綱(まつだいら てるつな、元和6年8月5日(1620年9月1日) - 寛文11年12月12日(1672年1月11日))は、江戸時代の大名、川越藩主。大河内・長沢・松平家。
老中松平信綱の長男、母は井上正就の長女。従五位下、甲斐守を称する。
寛永14年(1637年)から寛永15年(1638年)にかけて、島原の乱鎮圧の上使となった父信綱に従って九州に赴いた。輝綱の手になる島原天草日記は、当事者の記録として貴重である。
寛文2年(1662年)4月18日、川越藩7万5千石の当主となった。 父と異なって政治活動にはほとんど関わらなかったが、兵法や測量術などに傾倒した。