根來泰周
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根來 泰周(ねごろ やすちか、1932年(昭和7年)7月31日 - )は、和歌山県和歌山市生まれの弁護士で、第11代日本野球機構コミッショナーを務めている。第18・19代公正取引委員会委員長。
[編集] 略歴
和歌山県立向陽高等学校、京都大学法学部を卒業。京大在学中に司法試験と国家公務員I種試験に合格、法曹への道を選ぶ。
- 1958年(昭和33年)4月 - 札幌地方検察庁検事任官
- 1984年(昭和59年)11月 - 函館地方検察庁検事正
- 1985年(昭和60年)12月 - 法務大臣官房長
- 1988年(昭和63年)6月 - 法務省刑事局長
- 1990年(平成2年)6月 - 法務事務次官
- 1993年(平成5年)12月 - 東京高等検察庁検事長
- 1995年(平成7年)7月 - 定年退官
- 1995年(平成7年)9月 - 弁護士登録(第一東京弁護士会)
- 1996年(平成8年)8月 - 公正取引委員会委員長
- 1997年(平成9年)9月 - 公正取引委員会委員長(再任)
- 2002年(平成14年)8月 - 定年退官。再度、弁護士登録(第一東京弁護士会)
- 2003年(平成15年)6月 - 日本電信電話、電通、大日本印刷の社外監査役、三菱ウェルファーマの社外取締役に就任。
- 2004年(平成17年)10月 - 三菱ウェルファーマの社外取締役を任期途中で辞任。
[編集] プロ野球コミッショナー
2004年(平成17年)には日本プロフェッショナル野球組織(プロ野球統括団体)の第11代コミッショナーに就任した。この年にオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併問題に端を発するプロ野球再編問題が発生したが、野球協約の不備を理由に「私には権限がない」と発言し積極的な問題解決に努めなかったことからファンが反発。その後の労使交渉では新規参入の条件緩和・有識者会議の新設などを提案、「もしストライキが起こったらコミッショナーを辞任する」と発言した。結果的にストライキが決行され一度は辞任を表明したものの「次期コミッショナーが決まるまで」の条件で慰留され留任、結局後任が決まらぬまま現在に至る。日本・韓国・台湾・中国のリーグ優勝チームでアジア王者を争うアジアシリーズを創設しアジアのプロ野球を共同歩調で盛り上げていこうとする点や黒い霧事件で永久追放処分を受けた池永正明の復権を認めたことは評価できるものの、再編問題での失点が大きく、現在もコミッショナー辞任を求める声も多い。口癖は「権限がない」。
なおコミッショナー職を川島廣守から譲られてから間もなく近鉄とオリックスの合併に端を発する大問題が発生しており、川島前が辞任のタイミングに恵まれたといわれるのと対照的に不幸であったともいえる(ちなみに川島は野球殿堂入りを果たした)。
[編集] その他
生家が浄土真宗本願寺派の寺であるため、僧侶の資格を持つ。現在、同派玄妙寺住職及び監正局長を務める。
プライベートでは半世紀以上にわたる阪神タイガースファンとして有名で、コミッショナー就任前は自身のパソコンを、「トラ」と入力すると「根來泰周」と変換できるように設定していたといわれる。また2005年に阪神がセントラル・リーグで優勝した際には祝勝会で乾杯の音頭をとり、「この職に就いた昨年から(球界再編など)面白くないことや不愉快なことばかりだったが、(阪神が優勝を決めた)9月29日は、こんなに楽しいことはないと思った。5回目の優勝を見られて幸せだ」とコメントした。