椎名素夫
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椎名 素夫(しいな もとお、1930年8月19日 - )は、日本の政治家、物理学者。東京都文京区出身。自民党副総裁、外相、通産相を歴任した椎名悦三郎の二男である。衆議院議員を4期、参議院議員を2期務め、知米派、国際派として活躍した。
[編集] 来歴・人物
1953年に名古屋大学理学部物理学科を卒業する。電源開発に入った後、アメリカ国立アルゴンヌ研究所に入所する。帰国後、精密機械メーカー、サムタクを設立し、自ら取締役に就任した。1979年、父悦三郎の後継者として、第35回衆議院議員総選挙に旧岩手2区から自由民主党公認で立候補し、初当選するが、父悦三郎は選挙の最中の9月30日に亡くなった。
自民党国際局長、政調副会長などを務め、リチャード・アーミテージ米国元国務副長官やビル・ブラッドレー元上院議員ら米国に多くの知人を持ち、中曽根康弘首相とレーガン大統領による「ロン・ヤス会談」の成功などに貢献し、国際派として活動する。1990年の第39回衆議院議員総選挙で落選。1992年に同じ選挙区のライバルであった小沢一郎と協議の結果、参議院岩手選挙区にくら替えし初当選。1993年には自民党を離党し、無所属となる。
1994年の羽田孜内閣の組閣の時には、椎名の名が対外経済関係相として下馬評に上るなど非自民連立政権に好意的であったが、再選をめぐり小沢とも袂を分かつ。1995年に無所属の参議院議員を糾合して、参議院フォーラムを結成。1997年には自由の会に所属する。1998年、参議院議員に2期目の当選。同年無所属の会結成に参加し、その後同会代表を務めた。2004年に政界を引退。