歓喜の歌
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歓喜の歌(かんきのうた、ドイツ語:An die Freude/アン・ディー・フロイデ、喜びの歌、歓びの歌とも)は、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章の歌のこと。
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[編集] 歌詞
歌詞は、シラーの詩作品「自由賛歌」(Hymne à la liberté 1785年)がフランス革命の直後ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われていた。そこで詩を書き直した「歓喜に寄せて」(An die Freude 1803年)にしたところ、これをベートーベンが歌詞として1822年 - 1824年に引用書き直したもの。
一説にはフリーメイソンリーの理念を詩にしたものだともいう。一時期西ドイツの国歌として歌われていたこともある。今では欧州連合が欧州連合賛歌として採用しており、ラテン語の歌詞が付けらている。
ベートーヴェンは生涯にわたってシラーの詩集を愛読したが、実際に交響曲第9番の第4楽章の歌詞に織り込むにあたって、3分の1ほどの長さに翻案している。冒頭にバリトン歌手が独唱で歌う“おお友よ、このような歌ではなく…”は、ベートーヴェンが自分で考えたものであり、シラーの原詩にはない。
日本語の訳詞で歌われることもある。外部リンクにあるような独自の歌詞の他に、尾崎喜八らが翻訳したものがある。1980年代に入った頃から、年末にベートーヴェンの第9を歌う“第9ブーム”が日本で定着したが、それに伴って「歓喜の歌」のドイツ語原詩を覚えるためのいろいろなアイデアが考案されてきている。有名なものとしては、1990年2月15日の朝日新聞に載った、《向島芸者達が練習に使った「歓喜の歌」のとらの巻》がある。
作詞家の、なかにし礼は、1987年に日本語の「歓喜の歌・日本語版」を出版し、同年8月に桑名市民会館で初演されたが、その楽譜は現在も音楽雑誌ショパン社から出されており、各地で演奏されて好評を博している。最近では、愛・地球博で演奏された。
[編集] その他
また、この旋律自体は、第9交響曲オリジナルなものではない。1808年の「合唱幻想曲 Op.80」と、1810年の歌曲「Kleine Blumen, kleine Blaetter」において既に用いられている。同じ旋律を異なる曲で繰り返し用いるのは、この巨匠にとって珍しい事ではない。
[編集] ベルリンの壁崩壊
ベルリンの壁が崩壊した直後、1989年12月25日にレナード・バーンスタイン指揮の野外コンサートが行われた。バイエルン放送交響楽団を母体に、東西ドイツとアメリカ、イギリス、フランス、(当時)ソ連の6ヶ国から有志を募って混成オーケストラを臨時編成し、ベルリンでも伝統のあるコンサートホールであるシャウシュピールハウスで交響曲第9番を演奏して、東西ドイツの融和を祝った。この時は“Freude”(歓喜)を“Freiheit”(自由)に置き換えて歌ったことが大きな話題になった。(再統一は翌年の1990年10月3日であるため、ここでは「融和を祝う」点が重要なポイントである。)
間もなく、ドイツ・グラモフォン社からこのクリスマス・コンサートのライブ録音がCDとレーザー・ディスク(LD)で発売された。バーンスタインはそれから1年もたたないうちに、1990年10月14日に急逝したが、このアメリカ人指揮者は本演奏会でドイツ語圏の人々にも忘れ難い印象を残した。
[編集] 外部リンク
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