永久欠番
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永久欠番(えいきゅうけつばん)とは、背番号などを使用するスポーツにおいて、多大な功績を残した人物の使用した背番号を、その人物の栄誉と栄光の歴史を末永く称えるために、団体内で二度と使用しないように欠番にした番号をいう。
目次 |
[編集] 野球界の永久欠番
[編集] 日本プロ野球界の永久欠番
- 1-王貞治(一塁手) 1989年3月16日
- 3-長嶋茂雄(三塁手) 1974年11月21日
- 4-黒沢俊夫(外野手) 1947年7月9日
- 14-沢村栄治(投手) 1947年7月9日
- 16-川上哲治(一塁手) 1965年1月18日
- 34-金田正一(投手) 1970年4月2日
- 100-球団に対して貢献のある複数の著名人 1997年11月11日
- 100-大社義規(日本ハム球団初代オーナー) 2005年5月1日
- 10-イーグルス・ファン 2004年12月17日
※右記の日付は制定年月日
[編集] 失効・消滅となった永久欠番
- 3-大下弘(外野手) 1960年3月1日制定、1968年東映フライヤーズ監督就任の為に自ら返上、失効
- 6-中西太(三塁手) 1969年制定、1973年福岡野球株式会社への球団譲渡により失効
- 24-稲尾和久(投手) 1972年制定、1973年福岡野球株式会社への球団譲渡により失効
- 1-鈴木啓示(投手) 1985年7月31日制定、2004年11月10日オリックス野球クラブ株式会社への営業譲渡により消滅
[編集] 準永久欠番及び期間限定の欠番
阪急ブレーブス~オリックス・バファローズ
北海道日本ハムファイターズ
- 86-大沢啓二(監督)1994年~現在
読売ジャイアンツ
福岡ダイエーホークス~福岡ソフトバンクホークス
- 1-秋山幸二(外野手) 2003年
- 2-城島健司(捕手) 2006年~
- 9-小久保裕紀(内野手) 2004年~2006年
- 15-藤井将雄(投手) 2001年~現在(球団は近い将来、正式に永久欠番にする意向を示している)
- 90-景浦安武(外野手(あぶさん))1973年~現在
ロッテオリオンズ~千葉ロッテマリーンズ
- 8-有藤道世(三塁手) 1987年~1991年
- 26-マリーンズ・ファン 2005年~
- 22-佐々木主浩(投手) 2006年~
パシフィック・リーグ審判員
- 13-露崎元弥(東京審判部所属)1978年
セントラル・リーグ審判員
[編集] 備考
- 黒沢俊夫の背番号4については、本人がシーズン中に病死した事情もあり、「4は死に通じて不吉だから永久欠番にした」という説があるがこれは俗説。千葉茂の著書や証言に拠れば、ほとんどの主力選手を軍隊に取られた戦時下の巨人に球団史上初のトレードで移籍後、4番を打ち、戦後も病に倒れるまで5番・6番打者として活躍した本人への感謝の意として千葉を中心とする選手有志が提案し、沢村栄治と共に永久欠番になったとの事。黒沢が遺言として「私が死んだら、遺体に巨人軍のユニフォームを着せて葬って欲しい」と残したとも言われる。
- 沢村栄治の背番号14は、1943年までは沢村が着用していたが、戦後のプロ野球再開時である1946年には今泉勝義、坂本茂が着用。その後、永久欠番に指定された。
- 服部受弘は1960年に背番号10が永久欠番に制定されているが、その栄誉に人一倍重きを置いていたと言う。OB戦に出場の際、背番号10のユニフォームを裏返して参加。「僕は永久欠番をもらっている。簡単に陽の目にさらすような真似はできない」とコメントしたという。その為か、1977年に2軍監督として球界復帰時は、10番を着用している。
- 金田正一は、国鉄スワローズでも背番号34を付けていたが、それは欠番ではない。巨人での永久欠番は、日本人として初めての400勝を達成したことを記念してのものといわれている。国鉄でも欠番となる余地はあったが、1965年に球団が産経新聞社に身売りしたと言う事実が大きい。その後、永久欠番とならなかった背番号34は現在、リック・ガトームソンが着用。
- 村山実は1972年に背番号11が永久欠番に指定されている。彼は永久欠番の名誉を終生誇りとしており、引退後サインを求められると必ず「阪神タイガース永久欠番」と書いていた。
- 西鉄ライオンズの永久欠番6(中西太)、永久欠番24(稲尾和久)は、福岡野球株式会社への球団身売りの為に失効した。当時、黒い霧事件などによる球団内部の混乱もあり、身売り後の措置について取り決めを行わなかった為に、引き継がれなかったと言われている。現在、6は後藤武敏、24は松永浩典が着用。
- 板沢峰生は1979年に入団し、将来を嘱望されていた。しかし、1980年オフ、帰省中に急性心不全の為に逝去。現役選手の突然の死に、西武ライオンズは翌年以降1989年に至るまで、背番号59を9年間欠番とし、彼の死に報いた。現在は山本歩が着用。
- 長池徳士の背番号3は、1979年に現役引退後もコーチとしても着用しており、欠番として扱われていたが、1985年、コーチとして西武ライオンズに移籍したために欠番では無くなった。オリックス・バファローズとなった現在は村松有人が着用。
- 大杉勝男の背番号8は、ヤクルト初の日本一に貢献、前人未踏の両リーグ1000本安打、球団初の2000本安打の快挙に、1983年、ヤクルトの永久欠番となるが、1985年に入団してきた広沢克己に自らの意志で、背番号8を与えた。現在は武内晋一が着用。
- 吉田義男が1969年に現役を引退した際、背番号23は、この番号に相応しい守備力をもった選手が入団するまで一時的に欠番となった。しかし、吉田の守備と比較できるほどの名手は二度とあらわれず、吉田自身も監督時代は23番をつけることはなく、監督として日本シリーズ優勝を経験した後、1987年に正式に永久欠番に指定された。
- 福本豊の背番号7は、1984年に通算盗塁の世界記録を達成した際に永久欠番となることが決定していたが、永久欠番にはなっていない。当時、現役だったために本人が固辞したと言うことと、その後阪急ブレーブスが身売りしたことの要因が重なっている。オリックスで打撃コーチ・二軍監督を務めた時も引き続き背番号7を着用する。1991年退団後、愛称の変わったオリックス・ブルーウェーブでは2000年までの10年間、田口壮、小川博文、イチローの3名が背番号7を打診されるも全て固辞、谷佳知は入団時に背番号7を希望するも却下され、欠番となっていたが、2001年に進藤達哉が福本公認の下、背番号7を着用し、欠番ではなくなった。進藤が引退した後、オリックス・ブルーウェーブ最後の年となった2004年は、日高剛が着用。オリックス・バファローズとなった現在は水口栄二が着用。
- 原辰徳の背番号8は、1995年に原が現役引退した際、巨人一筋15年、ON後の巨人を牽引した四番打者に対し、背番号8を永久欠番にとの署名が多く集まったため、フロントが「準永久欠番」に制定。以後、背番号8は生え抜きの選手に優先的に着用させる番号となった。2006年までは原の承認に基づき仁志敏久が着用していたが、仁志の移籍に伴い2007年より、原の推薦により移籍選手である谷佳知がつけることになった。
- 横浜ベイスターズは、背番号100を球団に対して貢献のある著名人に与えている。初めて与えられたのは1997年11月11日、前宜野湾市長の桃原功。
- ミゲール・デルトロは2001年に西武ライオンズに在籍したが、帰国後に交通事故のために急逝。西武ライオンズでは同年限りでの解雇が決定していたが、正式発表前の事故死であった為に「所属選手」とし翌2002年、背番号32を1年間の期間限定で、欠番に制定した。現在は石井義人が着用。
- 秋山幸二の背番号1は、2002年、選手として、また福岡ダイエーホークスを日本一に導いた功績を称え永久欠番にすることを示唆され、多くのファンにより永久欠番とすることが願われていたが、球団上層部との対立により至らなかった。現在は柴原洋が着用。
- 大阪近鉄バファローズの永久欠番1(鈴木啓示)は、オリックス・ブルーウェーブとの合併による球団消滅により、消滅した。後継球団のオリックス・バファローズでは、現在は後藤光尊が着用しているが、2007年からはテリー・コリンズ監督が着用。これはオリックス・ブルーウェーブ時代から後藤が背番号1を着用していた事に加え、鈴木本人が永久欠番を継続しない事を了承したため(球団にとっても、永久欠番の扱いは合併時の課題だったという)。
- 東北楽天ゴールデンイーグルスは背番号10を、ファンのための背番号(レギュラー9人に続く10人目の意味)として永久欠番としている。サッカーでは同様の理由で12番を欠番とするチームがいくつかあるが、日本プロ野球では初の試みである。いずれの場合においてもファンを重視する視点において評価すべき事例である。
- 千葉ロッテマリーンズは2005年度以降、背番号26を同様に、ファンのための準欠番(一軍登録者の25人に続く26人目の意味)としている。
- 北海道日本ハムファイターズは、2005年5月1日、同年4月27日に死去した大社義規前オーナーのユニフォームに付けられていた背番号100を、永久欠番に制定した。日本球界において、球団オーナーの背番号を永久欠番にするのは極めて異例。
- 野村謙二郎の背番号7は、広島東洋カープの永久欠番にする事を打診したが、本人が断ったため、推薦する選手が出るまで永久預かり番号とした。
- 北別府学の背番号20は、準永久欠番として球団が公認したものである。9年間を経て、現在の背番号20は永川勝浩である。
- 以上の永久欠番以外にも、偉大な功績をあげた前任者を讃えて、また在籍中に不慮の事故や病などで急逝した選手への哀悼の念をこめて一時的に使用を見合わせる「準永久欠番」を指定している球団もあり、最近では福岡ダイエーホークスに在籍し、2000年に現役のまま病没した藤井将雄の15番、読売ジャイアンツからニューヨーク・ヤンキースへ移籍した松井秀喜の55番、オリックス・ブルーウェーブからシアトル・マリナーズへ移籍したイチローの51番などが準永久欠番扱いになっている。
- 該当選手が監督などとしてチームへ復帰した場合、その永久欠番を使用する事がある。現在まで、西沢道夫(1963年-1966年)、稲尾和久(1970年-1972年)、服部受弘(1977年)、村山実(1988年-1989年)、長嶋茂雄(2000年-2001年)、山本浩二(2001年-2005年)の例がある。
- 審判員が着用する肩番号(審判番号)はまずパ・リーグが1977年に、続いてセ・リーグが1988年に制定したが、退職以降他の審判に引き継がれることがなく今に至っている番号が存在するため、これらは事実上の永久欠番となっている。セリーグの3番は、着用していた上本孝一審判員が現役中に逝去したため。
[編集] アメリカメジャーリーグベースボールの永久欠番
- 3-デール・マーフィー(外野手)
- 21-ウォーレン・スパーン(投手)
- 35-フィル・ニークロ(投手)
- 41-エディー・マシューズ(三塁手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 44-ハンク・アーロン(外野手)
ロサンゼルス・エンゼルス(旧アナハイム・エンゼルス、カリフォルニア・エンゼルス)
- 11-ジム・フレゴシ(遊撃手・監督)
- 26-ジーン・オートリー(オーナー)
- 29-ロッド・カルー(一塁手)
- 30-ノーラン・ライアン(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 50-ジミー・リース(コーチ)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
オークランド・アスレティックス(旧フィラデルフィア・アスレティックス)
- 欠番扱い-ウォルター・ハース・ジュニア(オーナー)
- 9-レジー・ジャクソン(外野手)
- 27-キャットフィッシュ・ハンター(投手)
- 34-ローリー・フィンガース(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 43-デニス・エカーズリー(投手)
- 5-ジョージ・ブレット(三塁手)
- 10-ディック・ハウザー(監督)
- 20-フランク・ホワイト(二塁手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 3-アール・エブリル(外野手)
- 5-ルー・ブードロー(遊撃手・監督)
- 14-ラリー・ドビー(外野手)
- 18-メル・ハーダー(投手)
- 19-ボブ・フェラー(投手)
- 21-ボブ・レモン(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 455-ザ・ファン・オブ・インディアンス
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 6-スティーブ・ガービー(一塁手)
- 19-トニー・グウィン(外野手)
- 31-デーブ・ウィンフィールド(外野手)
- 35-ランディー・ジョーンズ(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
サンフランシスコ・ジャイアンツ(旧ニューヨーク・ジャイアンツ)
- 欠番扱い-クリスティー・マシューソン(投手)
- 欠番扱い-ジョン・マグロー(監督)
- 3-ビル・テリー(一塁手)
- 4-メル・オットー(外野手)
- 11-カール・ハッペル(投手)
- 24-ウィリー・メイズ(外野手)
- 27-ホアン・マリシャル(投手)
- 30-オーランド・セペダ(一塁手)
- 36-ゲイロード・ペリー(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 44-ウィリー・マッコビー(一塁手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 10-ロン・サント(三塁手)
- 14-アーニー・バンクス(遊撃手)
- 23-ライン・サンドバーグ(二塁手)
- 26-ビリー・ウイリアムス(外野手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 2-ネリー・フォックス(二塁手)
- 3-ハロルド・ベインズ(外野手)
- 4-ルーク・アプリング(遊撃手)
- 9-ミニーミノーソ(外野手)
- 11-ルイス・アパリシオ(遊撃手)
- 16-テッド・ライオンズ(投手)
- 19-ビリー・ピアース(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 72-カールトン・フィスク(捕手)
- 1-フレッド・ハッチンソン(監督)
- 5-ジョニー・ベンチ(捕手)
- 8-ジョー・モーガン(二塁手)
- 10-スパーキー・アンダーソン(監督)
- 14-ピート・ローズ(内野手)※失効中
- 18-テッド・クルーズスキー(一塁手)
- 20-フランク・ロビンソン(外野手)
- 24-トニー・ペレス(一塁手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 欠番扱い-ロジャース・ホーンスビー(内野手)
- 欠番扱い-ジャック・バック(アナウンサー)
- 1-オジー・スミス(遊撃手)
- 2-レッド・シェーンディーンスト(二塁手・監督)
- 6-スタン・ミュージアル(外野手)
- 9-イノス・スローター(外野手)
- 14-ケン・ボイヤー(三塁手)
- 17-ディジー・ディーン(投手)
- 20-ルー・ブロック(外野手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 42-ブルース・スーター(投手)
- 45-ボブ・ギブソン(投手)
- 12-ウェイド・ボッグス(三塁手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
テキサス・レンジャーズ(旧ワシントン・セネターズ{第二次})
- 26-ジョニー・オーツ(監督)
- 34-ノーラン・ライアン(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 欠番扱い-タイ・カッブ(外野手)
- 欠番扱い-アーニー・ハウエル(アナウンサー)
- 2-チャーリー・ゲリンジャー(二塁手)
- 5-ハンク・グリーンバーグ(一塁手)
- 6-アル・ケーライン(外野手)
- 16-ハル・ニューハウザー(投手)
- 23-ウィリー・ホートン(外野手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 14-ギル・ホッジス(監督)
- 37-ケーシー・ステンゲル(監督)
- 41-トム・シーバー(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 1-ビリー・マーチン(監督)
- 3-ベーブ・ルース(外野手)
- 4-ルー・ゲーリッグ(一塁手)
- 5-ジョー・ディマジオ(外野手)
- 7-ミッキー・マントル(外野手)
- 8-ビル・ディッキー(捕手)
- 8-ヨギ・ベラ(捕手)
- 9-ロジャー・マリス(外野手)
- 10-フィル・リズトー(遊撃手)
- 15-サーマン・マンソン(捕手)
- 16-ホワイティ・フォード(投手)
- 23-ドン・マッティングリー(一塁手)
- 32-エルストン・ハワード(捕手)
- 37-ケーシー・ステンゲル(監督)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 44-レジー・ジャクソン(外野手)
- 49-ロン・ギドリー(投手)
- 1-ビリー・メイヤー(監督)
- 4-ラルフ・カイナー(外野手)
- 8-ウイリー・スタージェル(一塁手)
- 9-ビル・マゼロスキー(二塁手)
- 20-パイ・トレーナー(三塁手)
- 21-ロベルト・クレメンテ(外野手)
- 33-ホーナス・ワグナー(遊撃手)
- 40-ダニー・マートウ(監督)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 24-ジミー・ウィン(外野手)
- 25-ホゼ・クルーズ(外野手)
- 32-ジム・アンブリット(投手)
- 33-マイク・スコット(投手)
- 34-ノーラン・ライアン(投手)
- 40-ドン・ウィルソン(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 49-ラリー・ダーカー(投手・監督)
- 欠番扱い-グローバー・アレキサンダー(投手)
- 欠番扱い-チャック・クレイン(一塁手)
- 1-リッチー・アッシュバーン(外野手)
- 14-ジム・バニング(投手)
- 20-マイク・シュミット(三塁手)
- 32-スティーブ・カールトン(投手)
- 36-ロビン・ロバーツ(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 5-カール・バーガー(球団社長)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 1-ボビー・ドーア(二塁手)
- 4-ジョー・クローニン(遊撃手・監督)
- 8-カール・ヤストレムスキー(外野手)
- 9-テッド・ウイリアムス(外野手)
- 27-カールトン・フィスク(捕手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 4-アール・ウィーバー(監督)
- 5-ブルックス・ロビンソン(三塁手)
- 8-カル・リプケン(遊撃手)
- 20-フランク・ロビンソン(外野手)
- 22-ジム・パーマー(投手)
- 33-エディー・マレー(一塁手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
ミネソタ・ツインズ(旧ワシントン・セネターズ{第一次})
- 3-ハーモン・キルブリュー(一塁手)
- 6-トニー・オリバ(外野手)
- 14-ケント・ハーベック(一塁手)
- 29-ロッド・カルー(二塁手)
- 34-カービー・パケット(外野手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 4-ポール・モリター(二塁手)
- 19-ロビン・ヨーント(遊撃手・外野手)
- 34-ロリー・フィンガース(投手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 44-ハンク・アーロン(外野手)
- 8-ゲーリー・カーター(捕手)
- 10-アンドレ・ドーソン(外野手)
- 10-ラスティ・スタウブ(外野手)
- 30-ティム・レインズ(外野手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
ロサンゼルス・ドジャース(旧ブルックリン・ドジャース)
- 1-ピー・ウィー・リース(遊撃手)
- 2-トム・ラソーダ(監督)
- 4-デューク・スナイダー(外野手)
- 19-ジム・ギリアム(二塁手)
- 20-ドン・サットン(投手)
- 24-ウォルター・オルストン(監督)
- 32-サンディー・コーファックス(投手)
- 39-ロイ・キャンパネラ(捕手)
- 42-ジャッキー・ロビンソン(二塁手)
- 53-ドン・ドライスデール(投手)
[編集] 備考
- 日本に無いケースとして「全チーム共通永久欠番」「複数球団にまたがる一選手の永久欠番」「複数の選手を称えた永久欠番」がある。
- 全チーム共通永久欠番-42番。黒人メジャーリーグ選手の第1号ジャッキー・ロビンソン(ドジャース)の背番号。ただし、1997年時点で42番を付けていて、現在まで使い続けている選手に限り特例として継続して使用することができる。2006年現在ではヤンキースのマリアノ・リベラが現役で唯一の、そして、最後の42番を付ける選手となっている。加えて、カージナルスのブルース・スーターも現役時代の背番号が42番であり、2006年に殿堂入りを果たして欠番に指定されたが、ロビンソンの背番号と並立することとなった。
- 複数球団にまたがる一選手の永久欠番-現在8名。ノーラン・ライアン(エンゼルスの30番、アストロズ、レンジャースの34番)、ハンク・アーロン(ブレーブス、ブリュワーズの44番)、ケーシー・ステンゲル(ヤンキースとメッツの37番)、フランク・ロビンソン(レッズとオリオールズの20番)、カールトン・フィスク(レッドソックスの27番とホワイトソックスの72番)、ロッド・カルー(エンゼルスとツインズの29番)、ロリー・フィンガース(ブリュワーズとアスレチックスの34番)、そしてレジー・ジャクソン(ヤンキースの44番とアスレチックスの9番)。
- 複数選手を称えた永久欠番-現在3ケース。ヤンキースの8番(ビル・ディッキーとヨギ・ベラ)、ナショナルズの10番(アンドレ・ドーソンとラスティ・スタウヴ)、カージナルスの42番(ブルース・スーターとジャッキー・ロビンソン)。
- ジャイアンツのクリスティー・マシューソンとジョン・マグロー、カージナルスのロジャース・ホーンスビー、フィリーズのグローバー・アレキサンダーとチャック・クレイン、タイガースのタイ・カッブは、背番号が定着する以前の名選手だったが、永久欠番と同様の扱いになっている(ただし、チャック・クレインは背番号定着後に活躍した選手だが、毎シーズン背番号を変えていたため、最初の数年間の背番号がない時代のチームの花文字を欠番代わりにしている) 。
- インディアンスの455番は、ホームゲームが455戦連続で満員になったことを記念し、「ファンの背番号」として永久欠番になっている。
- エンゼルスのオーナーであると同時に有名なカウボーイ俳優であり、自ら球団の応援歌もレコーディングしたジーン・オートリーのために、エンゼルスは26番を彼のための永久欠番としている。26は、ベンチ入りを許される25人の次の選手になりたいというオートリーの希望によるといわれている。
- タイガースの球場アナウンサーを42年間勤め、ファンに人気を博し殿堂入りを果たしたアーニー・ハウエルは、背番号こそ無いものの、永久欠番と同様に顕彰されている。また、カージナルスの名アナウンサー、ジャック・バックも同様の栄誉を受けている。
[編集] 韓国プロ野球界の永久欠番
MBC青龍→LGツインズ
- 41-金龍洙(キム・ヨンス) 通算251Sの韓国記録(当時アジア記録) 1999年 現野球解説者
OBベアーズ→斗山ベアーズ(身売りでなく名称変更)
- 21-朴哲淳(パク・チョルスン) 長年チームを支えたエース チーム創立21年目の2002年
- 54-金栄伸(キム・ヨンシン) 韓国球界初の永久欠番 1986年
ヘテ・タイガース→起亜タイガース
- 22-李万洙(イ・マンス) チーム一筋の捕手で韓国史上に残るスラッガー、2003年 現シカゴ・ホワイトソックスコーチ
- 36-李承燁(イ・スンヨプ) 韓国最年少300本塁打とシーズン56本塁打のアジア記録樹立 現読売ジャイアンツ
ピングレ・イーグルス→ハンファ・イーグルス(身売りでなく名称変更)
- 35-張鍾薫(チャン・ジョンフン) チーム一筋で、実働年数、出場試合、通算本塁打、通算打点など野手のほとんどの韓国記録を樹立
[編集] 備考
- 金栄伸はロサンゼルス五輪に韓国代表として出場など活躍、若手期待の捕手であったが1986年、水難事故により逝去。OBベアーズは同年、背番号54番を永久欠番に制定した。韓国球界初の永久欠番となる。
- 起亜タイガースは2001年、ヘテからの身売りの際に宣銅烈の永久欠番18を返上、新人投手に与える。 このことが韓国球界およびマスコミなどで猛反発を招き、同2001年、元通り永久欠番に指定する。
[編集] 台湾プロ野球界の永久欠番
- 22-曾智偵 台湾を代表する名捕手 監督を務めた後に45歳で現役復帰 1999年 現球団副社長
- 4-林易増 盗塁王5度の名手 前監督としても台湾シリーズ2連覇 現兄弟二軍コーチ 2001年
- 99-エレファンツ・ファン
[編集] 野球国家代表の永久欠番
- 13-東門明 元早稲田大学野球部三塁手 第1回日米大学野球選手権大会において、送球を頭部に受けて殉球。1972年
台湾代表
- 33-郭源治 元中日ドラゴンズ、帰国後も台湾球界で活躍する。 1999年
アメリカ合衆国代表
- 41-マーク・マグワイア(一塁手)
プエルトリコ代表
- 21-ロベルト・クレメンテ
- 22-ルーベン・ゴメス
- 30-オーランド・セペダ
ベネズエラ代表
- 11-ルイス・アパリシオ
- 17-アルフォンソ・カラスケル
[編集] 大学野球界の永久欠番
- 9-東門明 上述
- 48-東条弘典 在学中交通事故死。2000年
[編集] サッカー界の永久欠番
サガン鳥栖 (日本)
- 17-坂田道孝
ザスパ草津(日本)
- 31-奥野僚右
FCホリコシ(日本)
- 30-加藤康祐
ACミラン (イタリア)
- 3-パオロ・マルディーニ(予定)
- 6-フランコ・バレージ
インテル・ミラノ (イタリア)
- 2-ジュゼッペ・ベルゴミ(名誉欠番扱い)
- 3-ジャチント・ファケッティ
ASローマ (イタリア)
- 6-サントス・アウダイール
SSCナポリ (イタリア)
- 10-ディエゴ・マラドーナ
アタランタBC(イタリア)
- 14-フェデリコ・ピザーニ
カリアリ・カルチョ (イタリア)
- 11-ルイジ・リーバ
ブレシア・カルチョ (イタリア)
- 13-ヴィットリオ・メーロ
ビチェンツァ (イタリア)
- 9-パオロ・ロッシ
キエーヴォ・ヴェローナ (イタリア)
- 30-ジャソン・マイエーレ
リヴォルノ・カルチョ(イタリア)
- 10-イゴール・プロッティ
ACシエナ(イタリア)
- 4-ミケーレ・ミニャーニ
- 8-ステファノ・アルジッリ
ボローニャ(イタリア)
- 27-ニコロ・ガッリ
マンチェスター・シティ (イングランド)
ベンフィカ (ポルトガル)
- 29-ミクローシュ・フェヘル
ディナモ・ブカレスト (ルーマニア)
- 11-カターリン・ハルダン
ナシオナル・メデジン(コロンビア)
- 2-アンドレス・エスコバル
CRヴァスコ・ダ・ガマ (ブラジル)
釜山アイパーク (韓国)
アルゼンチン代表(暫定)
- 10 - ディエゴ・マラドーナ
[編集] 備考
- ナショナルチームにおける永久欠番制度はFIFAに認められていないため、大会の規定(例:スターティングメンバーの背番号を1~11番とする場合や、大会に登録できるのは23人で1~23番を使用する場合など)により、やむを得ず使用する場合がある。(特に国家代表が出場する大会でその場合が多い)
- ロベルト・バッジョの引退に伴い、ブレシアの背番号10番は永久欠番になる予定。
- サポーターを12番目の選手にたとえる意味で12番を欠番とするチームが複数存在する。
- 日本のプロサッカーリーグ・Jリーグでは、1997年の固定背番号制度発足に伴い、「選手が着用する背番号は連番とし、欠番を作らないように」という通達が出ていたが、サポーターとしての欠番や、移籍選手の背番号の空き番措置に対して各クラブチームの意思が強くなったために、2004年、連番でなくてもよいと改正された。この改正により、選手個人としての永久欠番が認められるようになった。
- 2005年1月30日、Jリーグ初の永久欠番が制定された。対象となっている坂田道孝は当時、佐賀大学教授で佐賀県サッカー協会理事長。 1994年、静岡県浜松市にあったPJMフューチャーズを佐賀県鳥栖市に誘致し、 鳥栖フューチャーズを発足させた。クラブチーム中興の祖であり、経営難による鳥栖フューチャーズ消滅後も、設立活動に尽力を注ぎ、チームを復活させた鳥栖最大の功労者。チームの再興を見届け、1999年1月7日逝去。(命日1月7日にちなみ意志を受け継ぐという意味で17番を永久欠番に制定)
- FCホリコシのGK加藤康祐は2005年2月、練習中の心臓麻痺により急死。 彼の功績を称えて2005年、彼が付けていた30番を永久欠番に指定。
- ザスパ草津のDF奥野僚右は初代監督で選手兼任。チームをJリーグ昇格に導いた功績により、2005年、彼が付けていた31番を永久欠番に制定。
[編集] バスケットボール界の永久欠番
[編集] 全米プロバスケットボール協会の永久欠番
- 9-ボブ・ペティット
- 17-テッド・ターナー
- 21-ドミニク・ウィルキンス
- 23-ルー・ハドソン
- 40-ジェイソン・コリアー
- 30-ジョージ・マクギニス
- 31-レジー・ミラー
- 34-メル・ダニエルズ
- 35-ロジャー・ブラウン
- 529-スリック・レオナルド (コーチ)
- 7-ビンゴ・スミス
- 22-ラリー・ナンス
- 25-マーク・プライス
- 34-オースティン・カー
- 42-ネート・サーモンド
- 43-ブラッド・ドーアティ
- 13-ウィルト・チェンバレン
- 14-トム・メシェリー
- 16-アル・アットルス
- 24-リック・バリー
- 42-ネート・サーモンド
- 1-ネイト・アーチボルド
- 2-ミッチ・リッチモンド
- 6-シックスマン (チームのファン)
- 11-ボブ・デイビーズ
- 12-モーリス・ストークス
- 14-オスカー・ロバートソン
- 27-ジャック・トゥィマン
- 44-サム・レイシー
- 00-ジョニー・ムーア
- 13-ジェームズ・サイラス
- 32-ショーン・エリオット
- 44-ジョージ・ガービン
- 50-デイヴィッド・ロビンソン
- 欠番扱い-ボブ・ブラックバーン (ラジオアナウンサー)
- 1-ガス・ウィリアムズ
- 10-ネイト・マクミラン
- 19-レニー・ウィルケンズ
- 32-フレッド・ブラウン
- 43-ジャック・シカマ
- 4-ジェリー・スローン
- 10-ボブ・ラブ
- 23-マイケル・ジョーダン
- 33-スコッティ・ピッペン
- 15-ブラッド・デイヴィス
- 22-ローランド・ブラックマン
- 2-チャック・デーリー
- 4-ジョー・デュマース
- 11-アイザイア・トーマス
- 15-ヴィニー・ジョンソン
- 16-ボブ・レイニア
- 21-デーブ・ビング
- 40-ビル・レインビア
- 2-アレックス・イングリッシュ
- 33-デヴィッド・トンプソン
- 40-バイロン・ベック
- 44-ダン・イッセル
- 432-ダグ・モー (ヘッドコーチ)
- 6-シックスマン (チームのファン)
- 7-ピート・マラビッチ
- 13-ボビー・フィルズ
- 3-ドレイゼン・ペトロヴィッチ
- 4-ウェンデル・ラドナー
- 23-ジョン・ウィリアムソン
- 25-ビル・メルチオーニ
- 32-ジュリアス・アービング
- 52-バック・ウィリアムズ
- 10-ウォルト・フレイジャー
- 12-ディック・バーネット
- 15-アール・モンロー
- 15-ディック・マグワイア
- 19-ウィリス・リード
- 22-デイブ・ディバッシャー
- 24-ビル・ブラッドリー
- 33-パトリック・ユーイング
- 613-レッド・ホルツマン (コーチ)
- 22-クライド・ドレクスラー
- 23-カルビン・マーフィー
- 24-モーゼス・マローン
- 34-アキーム・オラジュワン
- 45-ルディ・トムジャノビッチ
- 欠番扱い-デイブ・ジンコフ (チーム専属アナウンサー)
- 2-モーゼス・マローン
- 6-ジュリアス・アービング
- 10-モーリス・チークス
- 13-ウィルト・チェンバレン
- 15 ハル・グリアー
- 24 ボビー・ジョーンズ
- 32 ビリー・カニンガム
- 34 チャールズ・バークレー
- 欠番扱い-ジョー・プロスキ (トレイナー)
- 5-ディック・バン・アースデール
- 6-ウォルター・デイビス
- 7-ケビン・ジョンソン
- 9-ダン・マーリー
- 24-トム・チェンバーズ
- 33-アルヴァン・アダムス
- 34-チャールズ・バークレー
- 42-コニー・ホーキンズ
- 44-ポール・ウェストファル
- 832-コットン・フィッツシモンズ (ヘッドコーチ)
- 1-ラリー・ワインバーグ (創立時のオーナー)
- 13-デイブ・ツワージク
- 15-ラリー・スティール
- 20-モーリス・ルーカス
- 22-クライド・ドレクスラー
- 32-ビル・ウォルトン
- 36-ロイド・ニール
- 45-ジェフ・パトリー
- 77-ジャック・ラムゼイ (コーチ)
- 00-ロバート・パリッシュ
- 1-ウォルター・ブラウン (創立者で初代オーナー)
- 2-レッド・アワーバック (GM・ヘッドコーチ・社長)
- 3-デニス・ジョンソン
- 6-ビル・ラッセル
- 10-ジョ・ジョ・ホワイト
- 14-ボブ・クージー
- 15-トム・ヘインソーン
- 16-サッチ・サンダース
- 17-ジョン・ハブリチェク
- 18-デーブ・コーウェンス
- 19-ドン・ネルソン
- 21-ビル・シャーマン
- 22-エド・マーキュリー
- 23-フランク・ラムジー
- 24-サム・ジョーンズ
- 25-K・C・ジョーンズ
- 31-セドリック・マクスウェル
- 32-ケビン・マクヘイル
- 33-ラリー・バード
- 35-レジー・ルイス
- 23-マイケル・ジョーダン
- 2-マリック・シーリー
- 1-オスカー・ロバートソン
- 2-ジュニアー・ブリッジマン
- 4-シドニー・モンクリーフ
- 14-ジョン・マクグロックリン
- 16-ボブ・ラニアー
- 32-ブライアン・ウィンターズ
- 33-カリーム・アブドゥル=ジャバー
- 1-フランク・レイデン
- 7-ピート・メラビッチ
- 12-ジョン・ストックトン
- 14-ジェフ・ホーナセック
- 32-カール・マローン
- 35-ダレル・グリフィス
- 53-マーク・イートン
- 欠番扱い-チック・ハーン (アナウンサー)
- 13-ウィルト・チェンバレン
- 22-エルジン・ベイラー
- 25-ゲイル・グッドリッチ
- 32-マジック・ジョンソン
- 33-カリーム・アブドゥル=ジャバー
- 42-ジェイムス・ウォージー
- 44-ジェリー・ウェスト
ワシントン・ウィザーズ
- 11-エルビン・ヘイズ
- 25-ガス・ジョンソン
- 41-ウェス・アンセルド
[編集] 備考
- NBAならではのケースとして、「コーチの勝利数由来の永久欠番」「ファン=6人目の選手としての永久欠番」「所属歴のない選手の永久欠番」がある。
- コーチの勝利数由来の永久欠番 - ペイサーズのスリック・レオナルドの529番、ナゲッツのダグ・モーの432番、ニックスのレッド・ホルツマンの613番、サンズのコットン・フィッツシモンズの832番。
- ファン=6人目の選手としての永久欠番 - キングスとホーネッツの6番。
- 所属歴のない選手の永久欠番 - ホーネッツのピート・マラビッチの7番(かつてニューオーリンズに本拠を置いたニューオーリンズ・ジャズ(現・ユタ・ジャズ)で活躍した功績を称えて)、ヒートのマイケル・ジョーダンの23番(NBAに貢献したということで永久欠番にすると2003年にパット・ライリーが決定した。(一説には「マイケル・ジョーダンに苦しめられたライリーが、自チームで23番を見たくないからだ」とも言われている。))
- 複数選手を称えた永久欠番としてニックスの15番(アール・モンローとディック・マグワイア)がある。
- ピストンズのチャック・デーリーの2番は選手としてではなく、コーチとして2連続優勝を讃えて永久欠番としている。
- トレイルブレイザーズのジャック・ラムゼイの77番は、NBA優勝を果たした1976-77シーズンのコーチとして永久欠番としている。
- セルティックスの18番はジム・ロスカトフの永久欠番にする予定だったが、ロスカトフ本人が辞退。後にデーブ・コーウェンスの永久欠番となる際に、準ずる形として共に顕彰されている。
[編集] 韓国プロバスケットボール界の永久欠番
原州東部プロミ
- 9-許載
[編集] その他のスポーツにおける永久欠番
[編集] バレーボール
ダイエー・オレンジアタッカーズ(現久光製薬スプリングス)
- 7-フローラ・ハイマン(チーム解散により失効。)
- 16-ジルソン・ベルナルド
アメリカ合衆国女子代表
[編集] アイスホッケー
北米アイスホッケーリーグ(NHL)全球団
- 99-ウェイン・グレツキー