渡辺浩司 (プロ野球選手)
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渡辺 浩司(わたなべ ひろし、1963年8月9日- )は、日本ハムファイターズで活躍した元プロ野球選手。引退後は同球団のコーチを歴任し、2006年シーズンからは同球団のプロスカウト(スコアラー)を務めている。
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[編集] 略歴
- 身長・体重 180cm、74kg
- 投打 右投左打
- 出身地 新潟県白根市(現新潟市)
- 球歴・入団経緯 新潟県立新潟商業高等学校-日本ハム(1982年~2005年)
- ドラフト年度・順位 1981年ドラフト外
[編集] 背番号
[編集] 来歴・人物
白根市北部の肉店の長男として生まれる。白根市立大鷲中学校(現新潟市白根北中学校)を経て、甲子園行きを目指して新潟商高に進んだが、入学時には野球部が1年間の対外試合禁止処分を受けていたため、1年時は実戦に臨む機会がなかった。2年時からレギュラーとなり、3年時は副将を務めたが、夏の県大会は3回戦で敗退した。高校卒業後はニチエー(現バイタルネット)への就職が決まっていたが、知人などの仲介で日本ハムの入団テストを受けたところ合格し、1981年秋にドラフト外で入団した。
入団以降、長年一軍と二軍を往復するエレベーター生活が続いたが、プロ14年目の1995年、正二塁手の白井一幸が故障により長期離脱を余儀なくされたことから、渡辺に白羽の矢が立ちレギュラーとなった。序盤は3割をマークするなど好調を見せ、同年6月に行われた新潟での対近鉄2連戦では、初日の10日(三条)は二塁打を含む2安打、11日(新潟)でも犠飛を放つなど活躍した。7月7日の西武戦(東京ドーム)では、西崎幸広のノーヒットノーラン達成の際、最後の打者の二ゴロを処理し、大記録達成の瞬間にも立ち会った。結局この年は116試合に出場し、14年目にして初めて規定打席にも到達した。
しかしその後は若手の台頭もあり、1997年を最後に現役を引退した。
引退後はコーチを8シーズンにわたって歴任。1998年の二軍打撃コーチ補佐を皮切りに、1999年には二軍打撃コーチ、2002年からは一軍に昇格して打撃コーチを務め、4シーズン務め上げた。だが2005年、チームは深刻な打撃不振に陥ったため、引責する形で同年限りで契約解除となりコーチを退任した。退任後はフロント入りし、翌2006年に新設されたスコアラー部署でプロスカウトとして活動している。