源一幡
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源一幡(みなもとのいちまん、建久9年(1198年) - 建仁3年9月2日(1203年10月8日))は、鎌倉幕府第2代征夷大将軍源頼家の嫡男。母は比企能員の娘若狭局。
父・頼家の発病により関東28ヶ国の守護・地頭職を譲られることになるが、父方の祖父北条時政が後ろ盾となっている一幡の叔父・千幡(後の3代将軍源実朝)には関西38ヶ国の守護・地頭職が譲られることとなり、母方の祖父の比企能員がそれに反発し、時政と対立。
その対立の結果、能員は時政邸で殺害され、一幡も母・若狭局と共に時政の兵によって火が放たれた能員邸で焼死した。(比企氏の乱)
現在、能員邸のあった場所には妙本寺が建ち、その中に比企一族の墓・一幡の振袖塚・若狭局のじゃくし堂がある。