相模三浦氏
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相模三浦氏(さがみみうらし)は中世に活躍した武家の一族で三浦氏宗家滅亡後に相模国三浦郡に拠って勢力を伸ばした。
1247年の宝治合戦で、執権北条氏に御家人三浦氏一族は滅ぼされた。その後、三浦氏傍流佐原氏出身の三浦盛時により家が再興されたが、執権北条氏の一家来でしかなかった。
その後足利尊氏が鎌倉幕府に対し兵を挙げると、時の三浦氏当主三浦時継は足利方について戦う。鎌倉幕府が滅び、建武政権が成立した後は、時継は相模国・武蔵国などの地頭となった。
その後、南北朝の分裂以後、関東では地域を二分する争いがたびたび起こるが、三浦氏は巧妙に立ちまわり、家名を保ち、やがて扇谷上杉家の勢力下に入った。
しかし1516年に後北条氏の北条早雲の大軍に攻められ、三浦義同・義意親子は自刃。三浦氏は滅亡した。
なお、安房里見氏重臣・正木通綱を三浦時高あるいは義同の遺児とする説があるが、近年では別の三浦氏庶流の出身であるとも言われている。
[編集] 系図
三浦義明 ┃ 義連 ┃ 盛連 ┃ 盛時 ┃ 頼盛 ┃ 時明 ┃ 時継 ┃ 高継 ┃ 高通 ┃ 高連 ┃ 高明 ┃ 時高 上杉持朝 |┏━━━┛ 高救 ┃ 義同 ┣━━━┓? 義意 正木通綱
[編集] 関連項目
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