神田伯龍
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神田 伯龍(かんだ はくりゅう)は、講釈師の名跡。元々は東京から出た名跡だが、一時期大阪に渡っていた。
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[編集] 二代目
道楽からの借金苦で、東京から大阪へ移って活躍していた神田伯清に伯龍の名を売却し、神田柏柳に改名した。
[編集] 大阪初代
東京の神田派の講釈師で神田伯清と名乗っていたが大阪に移って活躍し、二代目から伯龍の名を譲り受けた。
[編集] 大阪二代目
元々一龍斎貞山の弟子で一龍斎貞三と名乗っていた。大阪に移り大阪初代伯龍の弟子となり、大阪初代から伯龍の名を譲り受けた。二代目旭堂南陵に伯龍名の権限を譲って没した。
[編集] 大阪三代目(大阪伯龍)
大阪二代目の弟子で神田小伯龍と名乗っていた。伯龍名の権限を持っていた二代目旭堂南陵に断りなく神田伯龍を襲名したが、南陵は小伯龍が伯龍を継ぐべきと考えていたので黙認した。同時期に伯龍を名乗った下記の大津伯龍との区別の為、大阪に住んでいたので大阪伯龍の呼び名がある。
[編集] 大津伯龍
大阪二代目の弟子で神田伯鱗といった。大阪伯龍が既に伯龍を襲名していたが伯龍を名乗った。同時期に伯龍を名乗った上記の大阪伯龍との区別の為、大津に住んでいたので大津伯龍の呼び名がある。
[編集] 三代目
二代目神田伯山の弟子で神田伯治を名乗っていた。当時伯龍の名は大阪に権利が移っていたが、それを承知で伯龍を名乗った。
[編集] 四代目
後の三代目小金井芦州。
[編集] 五代目
本名:戸塚 岩太郎(とつか いわたろう)、東京生まれ。 (明治22)1889年6月 - (昭和24)1949年5月17日。
小児麻痺で右手が不自由だった。
七代目立川談志は、五代目伯龍の「小猿七之助」のレコードを聴き深い感銘を受け、自分の演目にしたと著書「談志百選」等で述べている。
[編集] 六代目(当代)
本名:小村井 光三郎(こむらい みつさぶろう) 、東京生まれ。 (大正15)1926年6月 - (平成18)2006年11月17日。