第三の道
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第三の道(だいさんのみち 英語:The Third Way)とは、新自由主義的な保守政権に対抗するために、主にヨーロッパの社会民主主義勢力が取り入れた政治路線の総称。イギリス労働党のブレア政権(1997年~)が最も有名である。
ここではイギリスのものの概略を示す。サッチャーの「社会などない」発言に象徴されるとおり、社会的連帯の制度的表現である福祉国家はブレア以前の保守政権下で次第に解体されつつあった。市場を重視した民営化一辺倒であったと言うことができる。他方、労働党は従来の産業国有化方針を脱却できず、市場化の波には対応できないままであった。一方の市場化一辺倒、もう一方の市場化の無視。この状況を乗り越えようと、市場を重視しつつも国家の補完による公正の確保という、従来の保守-労働の二極対立のちょうど中間の路線を目指そうとしたのが「第三の道」である。
ここで具体的に行われた政策は、保守党が重視してきた所得税や法人税の軽減などを継承する一方で、より社会の下層に配慮し公正を目指す就労支援や公立校改革などを展開すること、また、弱者を手当て(ネガティブウェルフェア,依存型福祉)するのではなく、家族形成や就労を含めて「社会参加」の動機づけを持つ者を手当て(ポジティブウェルフェア,自立型福祉)すること、そして、公共サービスでのPPP(Public-Private Partnership)による官民連携、さらに、サッチャーによる中央集権政策への反省から地方の自治・自立を促すラディカルな地方分権(スコットランド・ウェールズ・北アイルランド各地方へ地方議会の設置)などがある。
この「第三の道」を掲げたブレアを党首とした労働党は、1997年5月の総選挙で勝利し、現在も政権の座にある(2006年8月現在)。
この成功はヨーロッパ各国の社会民主主義政党に影響を与え、ドイツ社会民主党のシュレーダー政権の政策なども「第三の道」の影響を受けている。英国では既に、保守党時代に徹底した構造改革を終えていたことから、「公正」の面がより強調されたが、他の国の「第三の道」では、「効率」にまず重点が置かれる傾向があった。
だが、それらは「旧来の社民政党を基盤にした改革」という矛盾があったため、その多くは限界を露呈することとなった。2001年にイタリアの「オリーブの木」政権、2005年にシュレーダー政権、次いで2006年には、スウェーデンのペーション政権が次々と崩壊した[1]。日本でも、「第三の道」を謳う最大野党の民主党が、労組への配慮から郵政民営化に反対したため、2005年の総選挙で大敗した。
[編集] 関連項目
[編集] 関連図書
アンソニー・ギデンズ著,佐和隆光訳 『第三の道――効率と公正の新たな同盟』 日本経済新聞社,1999 ISBN 4-532-14771-9
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