第2師団 (日本軍)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
第2師団(だいにしだん)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。1888年(明治21年)5月仙台鎮台を改編し設置された。初代師団長は最後の仙台鎮台司令官佐久間左馬太。創設時の所属連隊は仙台の歩兵第4連隊、青森の歩兵第5連隊、新発田の歩兵第16連隊、仙台の歩兵第17連隊(後、秋田に移る)で構成された。
師団司令部は仙台市川内(かわうち)の旧仙台城二の丸(現東北大学川内キャンパス)に、射撃場は仙台市台原(旧警察学校~台原小学校)に設置された。
創設後は、日清戦争の威海衛攻略に参加。日露戦争では黒木為楨率いる第1軍隷下で九連城攻撃・遼陽会戦・沙河会戦・奉天会戦に参加する。遼陽会戦では弓張嶺の夜襲と呼ばれる師団規模の夜襲を敢行、以後、「夜襲の仙台師団」の異名を取った。
1931年(昭和6年)からは満州に駐屯し、以後満州事変・盧溝橋事件に参戦し、日中戦争(支那事変)ではチャハル作戦・徐州会戦にあたる。太平洋戦争では南方に投入され、緒戦は蘭印で快勝するがガダルカナルでは7000名を越す損害を出す。その後マレー・シンガポール方面の警備を担当、1944年(昭和19年)からはビルマ戦線に参戦する。
目次 |
[編集] 師団概要
[編集] 歴代師団長
- 佐久間左馬太:1888年(明治21年)5月14日
- 乃木希典:1895年(明治28年)4月5日
- 西寛二郎:1896年(明治29年)10月14日
- 西島助義:1904年(明治37年)9月8日
- 松永正敏:1906年(明治39年)7月6日
- 仁田原重行:1912年(明治45年)2月27日
- 南部辰丙:1915年(大正4年)2月15日
- 河内礼蔵:1916年(大正5年)8月18日
- 中島正武:1919年(大正8年)7月25日
- 長坂研介:1922年(大正11年)2月8日
- 井上一次:1926年(大正15年)3月2日
- 赤井春海:1927年(昭和2年)7月26日
- 多門二郎:1930年(昭和5年)12月22日
- 東久邇宮稔彦王:1933年(昭和8年)8月1日
- 秦真次:1934年(昭和9年)8月1日
- 梅津美治郎:1935年(昭和10年)8月1日
- 岡村寧次:1936年(昭和11年)3月23日
- 安井藤治:1938年(昭和13年)6月23日
- 吉本貞一:1939年(昭和14年)11月6日
- 丸山正男:1941年(昭和16年)4月10日
- 岡崎清三郎:1933年(昭和18年)6月10日
- 馬奈木敬信:1945年(昭和20年)3月1日
[編集] 師団司令部(最終)
[編集] 最終所属部隊
- 歩兵第4連隊(仙台):一刈勇策(大佐、陸士28期)
- 歩兵第16連隊(新発田):堺吉嗣(大佐、陸士29期)
- 歩兵第29連隊(若松):三宅犍三郎(大佐、陸士29期)
- 捜索第2連隊:原好三(大佐、陸士30期)
- 野砲兵第2連隊:石崎益雄(大佐、陸士26期)
- 工兵第2連隊:高瀬克巳(大佐、陸士30期)
- 輜重兵第2連隊:山口英男(少佐、陸士44期)
- 師団通信隊:石橋一男(大尉、陸士55期)
- 師団兵器勤務隊:細貝作蔵(少佐)
- 師団衛生隊:西山秀雄(中佐)
- 師団第1野戦病院:細見禎一(少佐)
- 師団第2野戦病院:武田正(大尉)
- 師団第4野戦病院:丸茂三千穂(少佐)
- 師団病馬廠:伊藤辰男(大尉)
- 師団防疫給水部:沼沢保(少佐)
この「第2師団 (日本軍)」は、軍事に関連した書きかけ項目です。この項目を加筆・訂正などして下さる協力者を求めています。(関連: ウィキポータル 軍事 - ウィキプロジェクト 軍事) |