細川持春
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細川 持春(ほそかわ もちはる、応永7年(1400年) - 文正元年2月10日(1466年2月24日))は室町時代中期の守護大名。細川満国の子。六郎と称す。官途は民部少輔、下野守。子は細川教春、細川政国、細川賢春。政国は細川典厩家初代細川持賢の養子となった。
父の跡を受け、伊予国宇摩郡守護となる。しかし、同郡の国人は持春に心服していなかったらしく、永享3年(1431年)9月、将軍足利義教に対し宇摩郡に逃げた国人2名の討伐を申し出、許可を得て出陣の準備をしている(『満済准后日記』による)。
和歌をよく詠み、作品は『新続古今和歌集』に収められている。文正元年(1466年)2月10日没。享年67。法名は玉林院殿常忻。