細川澄元
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細川 澄元(ほそかわ すみもと、延徳元年(1489年) - 永正17年6月10日(1520年6月24日))は、室町中期の武将。細川義春の子、室町幕府管領細川政元の養子。子に細川晴元。阿波国細川氏出身。
政元は九条家から養子に迎えた細川澄之を家督継承者に定めていたが、これを廃嫡して後から養子に迎えた澄元に家督を継承させようとしたため、両者間に対立が生じた。
1507年(永正4)、政元は澄之の支持者によって暗殺され、翌日、澄元も澄之の家臣香西元長に邸を襲われ近江国甲賀に逃走した。
その後、澄之に反撃した澄元は家督を正式に継承すると、義父が擁立した将軍足利義澄を分家筋の細川高国らと支えて前将軍の足利義材(義稙)と対峙した。