統治行為論
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統治行為論(とうちこういろん)とは、国家統治の基本に関する高度な政治性を有する国家の行為については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、高度の政治性を有するがゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論のことをいう。裁判所が合憲性の判断を回避するための法技術として説明されることが多いが、理論上は必ずしも憲法問題を含むもののみを対象にするわけではない。
統治行為論は、フランスの判例が採用した acte de gouvernement の理論に由来するものであり、フランスでは行政機関の行為に関して問題とされた。これに対し、アメリカの判例が採用する political question の理論は、立法機関の行為に対しても適用される。日本では「統治行為」という名称にフランスの影響が見られる。
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[編集] 判例
日本の判例においては、統治行為論に言及したものは非常に少ない。
[編集] 最高裁判例
- 砂川事件上告審判決(最高裁昭和34年12月16日大法廷判決)
- 旧日米安全保障条約の合憲性判断について、統治行為論と自由裁量論を組み合わせた変則的な理論を展開して、司法審査の対象外とした。
- 苫米地(とまべち)事件上告審判決(最高裁昭和35年6月8日大法廷判決)
これ以降、議員定数不均衡訴訟などにおいて、被告の国側は統治行為論を主張するが、最高裁はそれを採用せず、裁量論で処理。
[編集] 下級審判例
- 長沼事件第1審判決(札幌地裁昭和48年9月7日判決)
- 一般論として統治行為論を肯定した上で、自衛隊問題については統治行為論の適用を否定し、違憲判決を下した。
- 長沼事件控訴審判決(札幌高裁昭和51年8月5日判決)・百里基地訴訟第1審判決(水戸地裁昭和52年2月17日判決)
- 自衛隊の合憲性判断について、砂川事件上告審判決と同様の統治行為論により、司法審査の対象外とした。
[編集] 学説
徹底した法の支配の原則を採用した日本国憲法の下においては、各機関の自律権や自由裁量に属する事項の他に、法律上の争訟とされながら司法審査が及ばない領域を認めることはできないという見解(否定説)も有力であるが、統治行為論を認める見解(肯定説)の方が多数説である。
肯定説は、高度に政治性を有する国家行為に関しては、主権者である国民の政治的判断に依拠して、政治部門において合憲性を判断すべきであるという判断を基礎にしているが、理論的な説明としては、三権分立の原則や国民主権原理の観点から、民主的基盤が弱く政治的に中立であるべき裁判所には、その性質上扱えない問題が存在することを根拠とする見解(内在的制約説)と、法政策的観点から裁判所が違憲・違法と判断することにより生ずる政治的混乱を回避するため自制すべき問題があることを根拠とする見解(自制説)、さらには、内在的制約説を基本として自制説の趣旨を加味し、権利保障の必要性や司法手続きの能力的限界、判決の実現可能性など諸般の事情を考慮して判断するという見解(折衷説(芦部説))とがある。
また、統治行為論によって判断を回避することを認めるとしても、具体的にどのような国家行為が高度に政治性を有するとして統治行為となるのか、統治行為であるとしても判断を回避することが許されないものがあるかなどについても議論がある。