良忠
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良忠(りょうちゅう、正治元年7月27日(1199年8月20日) - 弘安10年7月6日(1287年8月16日))は、鎌倉時代中期の浄土宗の僧。諱は然阿。記主禅師と称される。石見国三隅の出身。
園城寺(三井寺)・出雲国鰐淵寺にはいり浄土・天台・真言・法相法相の各教学を修めた。1236年(嘉禎2年)法然の弟子である弁長の弟子となり、1240年(仁治元年)幕府の重臣北条経時の帰依を受けて鎌倉に蓮華寺(現在の光明寺)を創建した。1248年(宝治2年)には後嵯峨上皇に円頓戒を授戒している。関東において広く浄土教を布教し、時には日蓮と争うなどしている。