茂庭照幸
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茂庭 照幸(もにわ てるゆき、1981年9月8日 - 、神奈川県厚木市出身)はJリーグ・FC東京所属のプロサッカー選手。神奈川県立大秦野高等学校卒業。ポジションはディフェンダーで、主にセンターバック。2006年ドイツW杯の日本代表メンバーとして途中選出される。
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[編集] 経歴
1993年厚木市サッカー少年チーム、ゴールプランダーズ(GP)に所属し全国少年サッカー大会で神奈川県代表として出場しベスト8
ベルマーレ平塚ユース時代の1999年にトップチームでJ1初出場。翌2000年、J2降格とともに改称した湘南ベルマーレに加入し、第3節大分トリニータ戦でスターティングメンバーに起用されると、その後もコンスタントに出場を重ねた。また同年、U-19日本代表としてアジアユース選手権に出場。2001年にはU-20代表としてワールドユースアルゼンチン大会のメンバーにも選ばれたものの、負傷により帰国。
2002年、J1のFC東京に1年間の期限付き移籍。当初は慣れないサイドバックもこなしていたが、やがて本来の定位置であるセンターバックのポジションを与えられるようになった。またこの年、U-21日本代表としてツーロン国際大会、釜山アジア大会に出場。
2003年にはFC東京に完全移籍となり、センターバックの定位置を獲得。また、U-22日本代表として活動するかたわら、フル代表に選出され親善試合の対チュニジア代表戦で初の代表キャップを記録した。同年の東アジアサッカー選手権でもフル代表に選出。
2004年、日本代表候補合宿に参加するも、アテネオリンピック優先という方針でU-23代表に合流。この直後、合宿期間中に大久保嘉人らと共に無断外出していたことが発覚し、フル代表からは排除される格好になった。アテネオリンピック日本代表として3試合にフル出場したが、グループリーグ突破はならなかった。
2005年には辞退選手の代替として急遽コンフェデレーションズカップの日本代表に追加選出され、無断外出による排除措置は事実上解消された。続く東アジアサッカー選手権では、A代表としての初ゴールを記録した。
当初、2006年ドイツW杯の日本代表メンバーには選ばれなかったが、開催地のドイツ・ボンで試合前調整中に負傷の田中誠(ジュビロ磐田)の代替として追加選出された。アテネオリンピック代表では、駒野友一に続く選出となった(オーバーエイジ枠の小野伸二は除く)。背番号は所属チームと同じ2番が与えられた。グループリーグ初戦のオーストラリア戦で坪井慶介の負傷交代により出場。
[編集] プレースタイル
ディフェンダーとしての茂庭の魅力は、恵まれた体格と身体能力を生かした対人守備能力の高さに集約されている。にもかかわらずファウルを与えることが極めて少なく、イエローカードもほとんど皆無である。今後は経験を重ね、駆け引きや統率能力といった面での進歩が期待される。
[編集] トピックス
- 湘南時代の背番号は22番、FC東京では2番。
- クラブチームおよび日本代表における茂庭への応援スタイルは、「も・に・わ!」と連呼しながら「わ」の所で両腕を使って頭の上に輪を作る、世界にも類を見ない独特のものである。
- 石川直宏とは小学校時代から県大会や選抜・代表チームなどで常に顔を合わせており、親密であるとともに、同じプロサッカー選手として良きライバルと見なしていることを、各種のインタビューで語っている。
- 2003年10月8日にチュニジア戦で代表初キャップ。その試合中、「そこはおまえがいけ」と中田英寿にコーチングをするが「なんでだよ」と言い返される。この試合での柳沢敦へのアシストが決勝点になった。
- また、アテネ五輪予選では阿部勇樹の直接フリーキックが体に当たってしまうことがあった。
- 2005年10月26日に、愛車のトヨタ・ランドクルーザーV8が盗難にあった。翌年4月20日にはナンバープレートだけが見つかり、茂庭の元に戻った。(ちなみにそのナンバープレートは茂庭という名前を意識したものだった。)戻ったナンバープレートと一緒に写真に写っている茂庭は無駄にはしゃいでいる。
- 胴が長い。
- 小学校の頃キックベースがはやっていて、「ゴールプランターズ」というクラブチームに入った。しかしそこはサッカークラブだった。
- 「人生の3分の1は寝てる時間だなぁ…そうだ!高級ベッド買おう!」と安直な発想で高級ベットを購入する。
- 2003年12月7日の東アジア選手権。試合中に、宮本恒靖にボソッとひとこと言ったがサポーターの声援で声はかき消されてしまった。プレーが中断した時に宮本が駆け寄り、「ごめん。さっき何て言ってた?」と尋ねると「いやあ、香港のFWのアイツ、臭くないですか?」と答えた。当然、試合中でマークの確認だと思った宮本は拍子抜けし「あっ、そうだな」の 生返事の後、自分の位置に戻っていった。
- 胸を叩きながら「痛がるんじゃねえ!ハートだ!ハートが強ければ痛くない!」という名言を残す。
- JOMOオールスター2006で回りに誰も居ないことを確認してから意味のないまたぎフェイントを行うという伝説をつくる。
[編集] 所属クラブ
- 厚木ゴールプランダーズ -1993
- ベルマーレ平塚ジュニアユース 1994-1996
- ベルマーレ平塚ユース 1997-1999
- ベルマーレ平塚/湘南ベルマーレ 1999-2001
- FC東京 2002- (※2002年は期限付き移籍)
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
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J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
1999年 | 平塚 | J1 | 24 | 11 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |
2000年 | 湘南 | J2 | 2 | - | 12 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | |
2001年 | 湘南 | J2 | 22 | - | 29 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | |
2002年 | F東京 | J1 | 2 | 19 | 0 | - | 1 | 0 | 1 | 0 | |
2003年 | F東京 | J1 | 2 | 27 | 0 | - | 7 | 0 | 1 | 0 | |
2004年 | F東京 | J1 | 2 | 22 | 1 | - | 6 | 0 | 1 | 0 | |
2005年 | F東京 | J1 | 2 | 32 | 0 | - | 6 | 0 | 2 | 0 | |
2006年 | F東京 | J1 | 2 | - | |||||||
通算 | 111 | 1 | 41 | 0 |
[編集] 代表歴
- U-19、U-20日本代表 2000-2001
- 2000年 AFCユース選手権
- 2001年 FIFAワールドユース選手権
- U-23日本代表 2004
- 2004年 アテネオリンピック
- 日本代表 2003-2006
- 2003年 東アジア選手権
- 2005年 東アジア選手権
- 2006年 FIFAワールドカップ
[編集] 個人タイトル
- 2005年 - Jリーグフェアプレイ個人賞
[編集] 外部サイト
日本代表 - 2006 FIFAワールドカップ | ||
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1 楢崎正剛 | 2 茂庭照幸 | 3 駒野友一 | 4 遠藤保仁 | 5 宮本恒靖 | 6 中田浩二 | 7 中田英寿 | 8 小笠原満男 | 9 高原直泰 | 10 中村俊輔 | 11 巻誠一郎 | 12 土肥洋一 | 13 柳沢敦 | 14 アレックス | 15 福西崇史 | 16 大黒将志 | 17 稲本潤一 | 18 小野伸二 | 19 坪井慶介 | 20 玉田圭司 | 21 加地亮 | 22 中澤佑二 | 23 川口能活 | 監督 ジーコ |
FC東京 - 2006 |
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1 土肥洋一 | 2 茂庭照幸 | 3 ジャーン | 5 増嶋竜也 | 6 今野泰幸 | 7 浅利悟 | 8 藤山竜仁 | 9 ルーカス | 10 三浦文丈 | 11 阿部吉朗 | 13 戸田光洋 | 14 馬場憂太 | 15 鈴木規郎 | 16 宮沢正史 | 17 金沢浄 | 18 石川直宏 | 19 伊野波雅彦 | 20 川口信男 | 22 塩田仁史 | 23 梶山陽平 | 24 赤嶺真吾 | 25 徳永悠平 | 26 池上礼一 | 27 栗澤僚一 | 29 ワシントン | 30 松尾直人 | 31 遠藤大志 | 33 小澤竜己 | 35 リチェーリ | 36 吉本一謙 | 37 権田修一 | 38 中澤聡太 | 39 平山相太 | 監督 倉又寿雄 | クラブ | 編集 |
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