石川直宏
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石川 直宏(いしかわ なおひろ、1981年5月12日 - )はプロサッカー選手であり、横浜F・マリノスを経て現在FC東京所属。ポジションはミッドフィールダー。愛称は「ナオ」。神奈川県横須賀市出身。
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[編集] 経歴
横浜F・マリノスユースからトップチームに昇格し、2000年にJリーグデビュー。U-19日本代表としてアジアユース、U-20日本代表としてワールドユースアルゼンチン大会に出場するも、横浜では出場機会に乏しかった。
2002年、佐藤由紀彦の負傷で右サイドの攻撃的選手が不足していたFC東京へレンタル移籍。原博実監督が口説き文句として使った「今なら使っちゃうよ」の言葉通り、移籍直後のナビスコカップで早速出場機会を得ると、そのずば抜けたスピードとテクニックによる突破でサポーターを唸らせた。その後は再開後のリーグ戦で右サイドの定位置を確保するとともに、U-21日本代表として10月の釜山アジア大会で準優勝に貢献。
2002年末にレンタル期限が1年延長され、翌2003年8月には(入れ替わりで横浜F・マリノスにレンタル移籍していた佐藤由紀彦と交換トレードのようなかたちで)FC東京に完全移籍することとなった。また、アテネオリンピックを目指すU-22日本代表として活動する一方で、この年のキリンカップのためのフル代表に初選出される。同年の東アジアサッカー選手権でもフル代表に選出され、香港戦において代表初出場を記録した。
2004年には再び日本代表候補合宿に参加したが、日本サッカー協会のオリンピック優先という方針によりU-23日本代表に合流、アテネオリンピックアジア最終予選を突破する。本大会の代表メンバーにも選出されたものの、守備重視の戦術が用いられたため石川の活躍すべき場面はなかなか訪れず、消化不良のままグループリーグ敗退によってギリシャの地を去ることとなった。
2005年8月に財政難のトリノに代わってセリエAに昇格したトレビゾから獲得オファーがあったが、FC東京のチーム状況などの理由からオファーを断った。
2005年9月17日のJリーグ・横浜F・マリノス戦の試合中に右膝を故障。右膝前十字靭帯損傷および右膝外側半月板損傷・全治8ヶ月との診断を受け、翌月に手術。懸命にリハビリを続け、2006年7月19日のアビスパ福岡戦で305日ぶりの復帰を果たした。
[編集] プレイスタイル
石川の持ち味は、右サイドでの鋭い突破にある。相手ディフェンスを易々と抜くスピードとフェイント、加えてチームメイトであった加地亮とのコンビネーションによる多彩なオーバーラップは、原博実監督(当時)の標榜するスペイン風の攻撃サッカーを最も如実に体現するものであると言える。原監督の薫陶の賜物か、左サイドへのポジションチェンジなども積極的に行うようになり、FC東京にとってはいよいよ不可欠な選手となっている。その反面、日本代表においてはその特長をまだ生かしきれていない(あるいは生かされていない)面もあり、今後のさらなる成長が期待される。
[編集] トピックス
- FC東京での背番号は当初36番だったが、その後横浜時代からつけていた18番で定着した。
- スタジアムでは「Down Beat Stomp」(東京スカパラダイスオーケストラ)のサビに独自の歌詞をつけたものが応援歌となっている。ちなみに、石川とスカパラのベーシスト川上つよしと交友関係があり、それが縁で2003年、2004年シーズンの開幕戦にはスカパラがゲスト出演している。
- 雑誌「サッカーai」のあなたが選ぶBEST11で7号連続第1位を獲得している。
[編集] 所属クラブ
[編集] 戦歴
[編集] Jリーグ通算成績
年度 | チーム | リーグ | 背番号 | リーグ戦 | カップ戦 | 天皇杯 | |||||
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J・J1 | J2 | ||||||||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
2000年 | 横浜Fマ | J1 | 28 | 2 | 0 | - | |||||
2001年 | 横浜Fマ | J1 | 18 | 13 | 1 | - | |||||
2002年 | 横浜Fマ | J1 | 18 | 0 | 0 | - | |||||
F東京 | J1 | 36 | 19 | 4 | - | ||||||
2003年 | F東京 | J1 | 18 | 29 | 5 | - | |||||
2004年 | F東京 | J1 | 18 | 17 | 0 | - | |||||
2005年 | F東京 | J1 | 18 | 23 | 3 | - | |||||
2006年 | F東京 | J1 | 18 | - | |||||||
通算 | 103 | 13 | - |
[編集] 代表歴
- U-19、U-20日本代表 2000-2001
- 2000年 AFCユース選手権
- 2001年 FIFAワールドユース選手権
- U-21、U-22、U-23日本代表 2002-2004
- 日本代表 2003
- 2003年 東アジア選手権
[編集] 外部リンク
FC東京 - 2006 |
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1 土肥洋一 | 2 茂庭照幸 | 3 ジャーン | 5 増嶋竜也 | 6 今野泰幸 | 7 浅利悟 | 8 藤山竜仁 | 9 ルーカス | 10 三浦文丈 | 11 阿部吉朗 | 13 戸田光洋 | 14 馬場憂太 | 15 鈴木規郎 | 16 宮沢正史 | 17 金沢浄 | 18 石川直宏 | 19 伊野波雅彦 | 20 川口信男 | 22 塩田仁史 | 23 梶山陽平 | 24 赤嶺真吾 | 25 徳永悠平 | 26 池上礼一 | 27 栗澤僚一 | 29 ワシントン | 30 松尾直人 | 31 遠藤大志 | 33 小澤竜己 | 35 リチェーリ | 36 吉本一謙 | 37 権田修一 | 38 中澤聡太 | 39 平山相太 | 監督 倉又寿雄 | クラブ | 編集 |
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