菅原是善
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菅原 是善(すがわら の これよし、弘仁3年(812年) - 元慶4年8月30日(880年10月11日))は、平安時代前期の文人・公家。父は菅原清公。菅原道真は子。また、娘の類子を光孝天皇の妃・源順子(藤原忠平正室・実頼生母)の母とする説がある。
大内記・文章博士・式部大輔などとともに多くの国司を歴任。872年(貞観14年)参議に任じられ、その後勘解由長官を兼任した。文徳・清和両天皇の侍読となり、内記として起草した詔勅や願文が多く残されている。都良香らと「日本文徳天皇実録」を撰し、また自ら「東宮切韻」「銀牓輪律」「集韻律詩」「会分類集」などを撰している。