越後線
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越後線(えちごせん)は、新潟県柏崎市の柏崎駅と新潟市の新潟駅を結ぶ、東日本旅客鉄道(JR東日本)の鉄道路線(地方交通線)である。
吉田駅~新潟駅間が新潟近郊区間に含まれ、同区間ではSuicaが利用できる。
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[編集] 路線データ
- 管轄(事業種別):東日本旅客鉄道(第一種鉄道事業者)
- 区間(営業キロ):柏崎~岩室~新潟 83.8km
- 軌間:1067mm
- 駅数:32駅(起終点駅含む)
- 複線区間:なし(全線単線)
- 電化区間:全線(直流1500V)
- 最高速度:85km/h
柏崎~吉田間の一部区間の架線には、JRの路線としては珍しい低コストの直接吊架式が採用されている。これは電化された1984年当時の国鉄が慢性的赤字に陥っていたため、コストダウンを求められた事によるもので、最高速度が85km/hに制限されている理由の一つでもある。
現存するJR路線で旧国名を名前に持つものは、越後線以外には相模線・日高本線・根室本線しかない。ラインカラーは緑色である。
[編集] 運行形態
新潟駅を中心に運転されているが、吉田駅で運行系統が分離されており、柏崎~吉田間と吉田~新潟間の南北2区間に大別される。一部に新潟~柏崎間を直通するもの、新潟から信越本線・新津方面や白新線・新発田方面に直通するもの、柏崎方から弥彦線・東三条方面に入るものなどがある。
- 柏崎~吉田
- 昼間に最大で約4時間の運転間隔が開くなど、閑散区間となっている。
- 吉田~内野
- 昼間60分間隔、朝・夕は約20~40分間隔で運行されている。但し、80分程度運行間隔があく時間帯あり。
- 内野~新潟
- 昼間時間帯は約20分間隔で運行されている。
かつては急行列車などの優等列車、快速列車が全線通して運行されていた。1968年から1982年11月までは青海・糸魚川~新潟間を越後線経由で走破する急行「ひめかわ」が運行されていた(82年秋の改正で愛称無しの快速に格下げし、電化時に廃止)他、1991年3月から1993年12月には長野~新潟間の快速「やひこ」が運行されていた。しかし「やひこ」廃止以降、定期列車は普通列車だけの運行になっている。但し、沿線でイベントなどが行われる際に臨時の快速列車が運行されることもある(新潟~弥彦間:弥彦神社への初詣や弥彦神社菊まつり等、新潟~分水間:分水桜まつり等)。
また、信越本線が事故や災害などで不通になった際の迂回ルートとしても活用された時期もあり、特急列車などが越後線経由で迂回運行したり、代替の臨時列車が運行されることがある。例として、信越本線が柏崎市内の脱線事故で不通になった際に寝台特急「日本海」が越後線を迂回したケースがある。近年は運行管理システムプログラムの都合上迂回運転は行なわれていないが、2004年の新潟県中越地震の際には上越新幹線(越後湯沢以北)や上越線(水上以北)、信越本線(柏崎以北)などが運行不能に陥ったため、越後線経由の臨時快速列車が長野~新潟間で運行された。
一方で強風の影響を受けやすいというネックがあり、特に大河津分水路に信濃川分水橋梁が架かる寺泊~分水間、水田が広がる越後曽根~内野間、信濃川橋梁が架かる白山~新潟間の3区間は特に地形や線路構造の関係で横風の影響を受けやすいため、運休になるケースがある。
[編集] 使用車両
[編集] 歴史
[編集] 越後鉄道
信越本線が柏崎から内陸部に入り、長岡、三条を経由することとなったため、柏崎から日本海沿岸を経由して新潟に至る鉄道が計画された。これが越後線の前身である越後鉄道(えちごてつどう)である。越後鉄道は1912年から翌年にかけて全通した。しかし、越後鉄道は資金不足のため信濃川に架橋することができず、新潟側のターミナルは信越本線新潟駅とは信濃川を隔てた対岸の白山に置かれた。
越後鉄道は経営難に苦しみ、政治工作によって度々国有化を要請したが容易に実現しなかった。
1927年1月、水戸鉄道(のちの水郡線)・陸奥鉄道(のちの五能線)・苫小牧軽便鉄道・日高拓殖鉄道(のちの日高本線)の4私鉄に加えて越後鉄道の買収案が突如浮上、相前後して白山~新発田間の新線案(のちの白新線)も提示された。紛糾の末に国会議決を経て5社の国有化が決定、越後鉄道は同年10月に国有化された。
五私鉄の国有化は当初から政治的意図が指摘されたが、特に越後鉄道については強い政治介入がささやかれていた。
[編集] 白山~新潟間開通
1943年に新潟(旧)~関屋間の貨物線(信越本線支線)が敷設され、両線が信濃川を渡って接続された。同線は1951年6月に旅客営業を開始し、同年12月にはこの貨物線上に白山駅を移転して関屋~白山(旧)間を廃止、同貨物支線を越後線に編入して、柏崎~新潟間が越後線となった。また、同年4月には、上沼垂から沼垂を経由せずに直接白山へ抜けるルートが形成(上沼垂~万代(貨)間の信越本線貨物支線を一部活用)され、関屋~万代(貨)間に営業キロが設定されている。
1956年には、新潟駅が上沼垂~関屋間の貨物支線上(万代(貨)への分岐点)に移転し、それとともに越後線も終点を新潟駅に変更した。
[編集] 現状
かつては非電化のローカル路線だったが、新潟大学が新潟市西部の五十嵐地区への移転を開始し始めた1970年代以降、沿線が宅地化し始めると、吉田より北側は徐々に通勤・通学路線へと変貌し、1984年4月には弥彦線(弥彦~東三条間)と共に全線電化を果たした。沿線には高等学校や大学が多く、燕・新潟両市近郊の通勤・通学の足として利用されており、特に内野~新潟間は20分ヘッドのパターンダイヤが編成されている。
しかしながら、南側の柏崎~吉田間は運転本数が年々減少し、昼間には運転間隔が最大で4時間開くなど閑散線区となっており、専ら朝夕の通勤・通学需要に特化したダイヤが組まれている。沿線では並行する国道116号がバイパス化されるなど各所の道路改良が著しく、沿線住民の日常の足は自家用車に偏重している。柏崎~礼拝間には越後線とほぼ並行する形で長岡駅方面とを結ぶ越後交通の路線バスが概ね1~2時間間隔で運行されているものの、西山以北には並行・競合する公共交通機関は存在しない。
中長距離輸送においては柏崎~新潟間は山側を経由する信越本線が元来メインルートであり、また北陸自動車道経由の高速バスも運行されている。それに加え、沿線の観光地や史跡を訪れる場合にしても、越後線を利用するよりも自家用車の方が便利という事もあり、吉田以南の区間の利用者は減少傾向にある。
[編集] 貨物線
1980年代前半まで、白山~新潟間に架かる信濃川橋梁(右岸側、新潟方)から日本軽金属新潟工場(現在の新潟県庁)付近まで専用貨物線の線路が引かれていた。日本軽金属が新潟東港に移転し、跡地に新潟県庁が移転・新築されることになったため(現県庁舎は1985年完成)、線路は撤去され、現在は道路(新潟市道)となっている。この他、関屋~白山間にも石油加工工場への引込線が設けられていた。
[編集] 年表
- 1912年8月25日 【開業】越後鉄道 白山~吉田(31.2km) 【駅新設】白山(初代)、内野、曽根、巻、和納、吉田
- 1912年11月11日 【開業】柏崎~石地(18.7km) 【駅新設】比角、荒浜、刈羽、西山、石地
- 1912年12月28日 【延伸開業】吉田~地蔵堂(仮)(8.3km) 【駅新設】地蔵堂(仮)
- 1912年12月28日 【延伸開業】石地~出雲崎(3.9km) 【駅新設】出雲崎
- 1913年4月20日 【延伸開業・全通】出雲崎~地蔵堂(仮)(16.7km) 【駅新設】与板、寺泊、地蔵堂 【駅廃止】地蔵堂(仮) 【駅名改称】吉田→西吉田、曽根→越後曽根
- 1913年5月27日 【駅新設】村田(臨時乗降場)
- 1913年11月15日 【駅新設】関屋
- 1913年12月16日 【駅新設】礼拝
- 1914年7月10日 【駅新設】粟生津(停留場)
- 1914年10月20日 【駅新設】寺尾(停留場)
- 1914年12月25日 【駅新設】越後赤塚
- 1915年6月15日 【駅新設】新荒浜(停留場)
- 1915年7月1日 【駅名改称】荒浜(初代)→西中通、新荒浜(停留場)→荒浜(2代)
- 1915年10月1日 【駅名改称】与板→小島谷、寺泊→大河津
- 1915年11月3日 【駅名改称】村田(臨時乗降場)→妙法寺(停留場)
- 1916年4月15日 【駅新設】桃林(荒浜~刈羽間。春季の花見時期に限り毎年開設)
- 1916年6月20日 【停留場→駅】粟生津
- 1916年9月25日 【停留場→駅】妙法寺
- 1918年3月25日 【停留場→駅】寺尾
- 1919年12月5日 【駅新設】桐原(停留場)
- 1920年12月28日 【停留場→駅】桐原
- 1943年11月1日 【開業】信越本線 新潟~関屋(貨物支線)(4.6km)
- 1951年4月5日 【キロ設定】関屋~万代(貨)(7.2km)
- 1951年6月25日 【旅客営業開始】新潟~関屋
- 1951年12月15日 【区間統合】越後線 柏崎~新潟(信越本線新潟~関屋間を越後線に統合) 【駅新設】白山(2代) 【路線廃止】関屋~白山(初代)(-1.8km) 【駅廃止】白山(初代)
- 1958年4月29日 新潟駅移転 【キロ廃止】関屋~万代(貨)(-7.2km)
- 1958年6月25日 【駅新設】小木ノ城
- 1959年10月1日 【駅名改称】西吉田→吉田
- 1960年6月10日 【駅新設】南吉田、小針
- 1965年12月25日 【駅名改称】和納→岩室
- 1969年10月1日 【駅名改称】比角→東柏崎
- 1983年4月1日 【駅名改称】地蔵堂→分水
- 1984年4月8日 【電化】全線 【駅新設】北吉田、新潟大学前
- 1986年11月1日 【駅名改称】大河津→寺泊
- 1987年4月1日 【承継】東日本旅客鉄道 【貨物営業廃止】全線
- 1988年3月13日 【駅新設】青山
- 2004年秋 新潟駅周辺の駅に自動改札 導入
- 2005年3月1日 【駅新設】内野西が丘
[編集] 駅一覧
- *の駅では列車交換不可。
柏崎駅 - *東柏崎駅 - *西中通駅 - *荒浜駅 - *刈羽駅 - 西山駅 - *礼拝駅 -* 石地駅 - *小木ノ城駅 - 出雲崎駅 - *妙法寺駅 - 小島谷駅 -* 桐原駅 - 寺泊駅 - 分水駅 - *粟生津駅 - *南吉田駅 - 吉田駅 - *北吉田駅 -* 岩室駅 - 巻駅 - 越後曽根駅 - 越後赤塚駅 - *内野西が丘駅 - 内野駅 -* 新潟大学前駅 - 寺尾駅 - 小針駅 - *青山駅 - 関屋駅 - 白山駅 - 新潟駅