足利貞氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
足利 貞氏(あしかが さだうじ、1273年(文永10年) - 1331年10月7日(元弘元年/元徳3年9月5日))は鎌倉時代後・末期の武将、幕府御家人である。父は足利家時、母は北条時茂の娘。妻は北条顕時の娘釈迦堂殿、上杉頼重の娘清子。 長男足利高義、次男に室町幕府初代将軍となる足利尊氏(高氏)、三男足利直義。 官位は従五位下。贈従三位。最終官職は讃岐守。
父・家時の後を受けて足利氏当主となる。1311年(応長元年)に出家したと『尊卑分脈』に記されるが、1301年、第9代執権・北条貞時の出家に伴って出家したと言う説もある。 将軍久明親王室のための祈祷の際の雑事役や、1305年(嘉元3年)に起きた「嘉元の乱」の際には、北条時方を討った罪人の預かりを務めているなどの公的活動が知られる。 貞氏の頃は足利氏の家政機関の活動も充実し、足利氏被官のもとに残された数多くの貞氏発給文書が残されている。
1331年9月5日、59歳で死去。嫡子足利高義が早世していた為、次男の足利尊氏(高氏)が継いだ。
鎌倉における足利氏の菩提寺浄妙寺を再興した他、足利鑁阿寺大御堂の再建も行っている。