近鉄大阪線列車衝突事故
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近鉄大阪線列車衝突事故(きんてつおおさかせんれっしゃしょうとつじこ)では、1971年(昭和46年)10月25日に三重県津市(旧・一志郡白山町)にある近鉄大阪線垣内東信号所(現在複線化により廃止)付近の総谷トンネル内で発生した、列車衝突事故について記す。
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[編集] 事故の概要
1971年(昭和46年)10月25日15時37分頃、近鉄大阪線の西青山駅~東青山駅間の青山トンネル東口手前200mのトンネル内で、上本町発近鉄名古屋行き特急電車(12000系4両編成)114列車が、自動列車停止装置(ATS)故障のため誤停止した(当日は、事故列車以前に通過した5本の列車もATS故障により青山トンネル内で緊急停車していた)。運転士はATS解除操作を行ったがブレーキが解除できず、停止地点は下り33‰の急勾配であったため、運転士は止むを得ず車輪に手歯止め(ハンドスコッチ)を挟み、ブレーキコックを操作して元空気溜めのエアを全部抜くという非常措置を行った。
ところが、列車停止を聞いて東青山駅から駆けつけた助役が、運転士に十分な連絡をしないまま手歯止めを外してしまった。その事を知らない運転士がブレーキを解除したところ列車が走り出し、エアの再充填もできずブレーキが効かない状態で連続33‰の下り坂を暴走。東青山駅を通過し、15時58分頃東青山~榊原温泉口間にあった垣内(かいと)東信号所の安全側線を120km/h以上で突破し脱線転覆、3両目は総谷トンネル入り口付近の壁に激突して止まったが、先頭の2両が横転した状態でトンネル内へ突入。直後に対向してきた賢島発京都・難波行き特急電車(12000系・10100系・18200系7両編成)1400N列車と正面衝突し、死者25名(乗務員3名)、重軽傷者255名を出す大惨事となった。
[編集] 事故の影響
この事故をきっかけに、近鉄はかねてより予定していた大阪線の完全複線化を前倒しして着工。まずは、事故区間を含む榊原温泉口駅~垣内信号所間に新総谷トンネル、新梶ケ広トンネルの2つの複線トンネルを開通させ、この区間を先行して複線化した。
この工事は1975年11月、青山トンネルに替わる新たな複線用トンネル(新青山トンネル)が開通したことで完成し、西青山駅・東青山駅も同時に移転。かつての青山峠越えの旧駅などは廃止された。
実際は垣内東信号所付近の総谷トンネル入口で起こった事故であるが、一般には「青山トンネル事故」とも呼ばれる。また、この事故で特急車両は大破した12200系12202編成と12000系12001編成が廃車となっている。両者とも当時近鉄の誇る最新鋭車両であった。
[編集] 関連項目
- 近鉄奈良線列車暴走追突事故(1948年3月31日)