都築譲
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生年月日 | 昭和25年(1950年)9月23日 |
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出身地 | 愛知県幡豆郡一色町 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
学位 | 法学士 |
前職 | 衆議院議員秘書 衆議院議員 |
世襲の有無 | 無 |
在任期間 | 就任年月日 ‐ - |
当選回数 | 1回(衆2回・参1回) |
所属(推薦)党派 | (新進党→) (自由党→) (民主党→) 無所属 |
ウェブサイト | つづき譲のHP |
都築 譲(つづき ゆずる、男性、昭和25年(1950年)9月23日 - )は、平成期の日本の政治家。愛知県幡豆郡一色町町長(1期)。愛知県幡豆郡一色町出身。
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[編集] 概要
- 2003年に、それまで属していた自由党が民主党と合流したことにより、衆議院議員選挙には選挙区の調整が図られて、出身地の愛知12区から愛知15区に移して出馬。代わりに民主党は比例区(東海ブロック)名簿の上位に優遇した。結果、小選挙区では落選したが、比例区で復活当選をはたした。
- しかし、選挙期間中に選挙対策幹部2人が選挙運動員らに対し、電話で有権者に投票を依頼する報酬として、時給800円の支払いを約束をしたとして、公職選挙法違反に問われており、連座制適用の危機にあった。
- 2004年8月2日、名古屋高等裁判所は2人に有罪判決を下した一審判決を支持し、被告の控訴を棄却、被告側は上告して連座制適用を先送りにしたが、最高裁でも上告が棄却され、一、二審判決が確定したため、11月2日、連座制により失職する前に自ら辞職を表明した。同月4日辞職が受理され、田村謙治が繰り上げ当選した。
- 辞職直後の2005年1月19日には、民主党代表岡田克也の私設秘書として採用され、岡田・都築両氏の政治感覚に疑問が投げかけられた。
- 公職選挙法の規定により愛知15区からの衆議院議員選挙出馬ができないため、一時期、拠点をかつての選挙区だった愛知12区の岡崎市内に移していたが、2006年に出身地である愛知県一色町長選挙に出馬し、当選した。
[編集] 略歴
[編集] 経歴
- 昭和44年(1969年)
- 愛知県立刈谷高等学校卒業(3月)
- 昭和50年(1975年)
- 平成6年(1994年)
- 労働省退官(7月)
[編集] 政歴
- 平成10年(1998年)
- 第18回参議院議員通常選挙(愛知選挙区・無所属)落選 - 214,250票
- 平成12年(2000年)
- 第42回衆議院議員総選挙(愛知12区・自由党公認)当選 - (比例東海)33,052票(6月25日)
- 平成15年(2003年)
- 自由党解散、民主党合流
- 第43回衆議院議員総選挙(愛知15区・民主党公認)2期目当選 - (比例東海)84,573票(11月9日)
- 平成18年(2006年)
- 愛知県幡豆郡一色町長選挙(無所属)当選 - 6,907票(1月29日)
[編集] 外部リンク
- つづき譲のホームページ(公式サイト)
- 一色町ホームページ