金沢工業大学
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金沢工業大学(かなざわこうぎょうだいがく、英称:Kanazawa Institute of Technology、略称:KIT)は、石川県石川郡野々市町に本部を置く私立大学。1965年に設置された。学校法人金沢工業大学。2004年時点の学生数7302人、教員数308人。略称は金工(かなこう、きんこう)大、金工。地元では金工大(きんこうだい)、工大(こうだい)。なお名称の似たMIT(マサチューセッツ工科大学)とは提携はしているものの直接の関係は無い。
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[編集] 概要
入学時の学力偏差値はあまり高くないが、単位取得は厳しい(2005年度卒業者数1501人)。入学後に授業に付いていけなくなりそうな学生も、やる気があれば見捨てないでしっかりと教育している。そのため数学や英語といった基礎学力不足な学生への支援教育施設がある。夢考房という学生が自由に使える工房があり、大型工作機械などを使うことができる。材料は必要な量を原価で購入することができる。そこではプロジェクトと呼ばれるものが活動しており、学生の自主的運営により活動し、それぞれ目標を掲げ、設計から研究・開発・製作を行っている。現在は、ソーラーカー、ソーラーボート、人力ボート、エコラン、人力飛行機、ロボット、ロボカップ、フォーミュラカー、メカニカルサポート、電気自動車、建築デザイン、福祉機器開発、風力発電、ソフトウェアモデリング、ユニバーサルデザイン、小型無人飛行機、自律走行車の17のプロジェクトが活動している。
図書館(LC)は蔵書数47万5千冊と充実しており、工学系の図書館としては世界最大規模といわれる。
教科書等は学内の本・文具店であるPEPAにて全て購入する事ができる。
学内は一切の飲酒は不可であるが、喫煙に関しては分煙となっている。
学内LANがほぼ全ての校舎に通され、情報コンセントと呼ばれるネットワーク接続可能な端子が5000以上あり、個人のノートPCを自由に接続してインターネット等を利用することができる。しかし一時学内で大規模なコンピュータウイルス被害が発生した事や、P2Pソフトの利用によるネットワークへの負荷増大などから、現在では利用する機器全てのMACアドレスを申告する必要があり、登録した機器しか利用できないようになってしまっている。
大学名には金沢が入っているが、これは県庁所在地である金沢市の方が名称上通りが良いためで、メインキャンパスの大半は石川県石川郡野々市町にあり、駐車場とテニスコートのみが金沢市久安にある。また周辺の民家・アパート等を改築して教員の研究室などに利用している。
八束穂(白山市:旧松任市)にもキャンパス(研究施設)がある。
本キャンパス内に学生のためのカウンセリングセンターがあり、修学面のことだけではなく、困りごとや悩み事、心理的な悩み事の相談を専門のカウンセラーが応じてくれる。このセンターの設備、カウンセラーの人数が共に大変充実しており、年間約2千人が利用している。
大学近くには王様の本やカレーのチャンピオン(旧:ターバンカレー)があり、好評である。
同大学は金沢工業高等専門学校(金沢高専)も経営しており、こちらは校舎の2割ほどが金沢市にある。
こうした一群の施設の一角に、地元野々市町のコミュニティ放送「えふえむ・エヌ・ワン」があり、大学や学生が運営に協力している。学生も番組制作に関わることや、J-WAVEの配信を受けている。
他のラジオにおいても、年4回、エフエム石川で金沢工業大学提供のラジオ番組(55分)が放送されている(放送時間は日曜の夜)。この番組はエフエム石川のほかに、FMとやま、FM福井など近隣のJFN系列局でも放送されている。番組タイトルは以前は「KIT POPULAR MUSIC CLUB」だったが、現在は「KIT DREAM DISCOVERY」となっている。
[編集] 沿革
- 1957年6月 旧北陸電波学校(金沢市小坂町)として発足。理事長兼校長に嵯峨保二就任
- 1958年4月 学校法人北陸電波高等学校の認可を受く。学長に青山兵吉就任
- 1961年11月 野々市町小学校を買収して移転
- 1962年1月 金沢工業高等専門学校(電気工学科)設立の認可を受く。4月10日 野々市町の仮校舎に於いて開学式および入学式を行う。初代校長に青山兵吉就任。12月15日 高専に機械工学科の認可を受く。
- 1963年6月1日 高専校舎の第一期工事の落成式及び開校式を行う。
- 1964年3月31日 扇が丘学生寮竣工(野々市町高橋町22ノ2)7月31日学校法人理事長として益谷秀次就任
- 1965年1月25日 金沢工業大学工学部(機械工学科、電気工学科)の設立の認可を受け学校法人名を金沢工業大学と改む。初代学長として青山兵吉就任。4月1日電波高等学校は金沢工業大学付属高等学校と改称し初代校長に室橋隆三就任。金沢工業大学付属幼稚園に作田せ津就任。12月1日高専学長に竹村重武就任。12月27日工学部に経営工学科増設
- 1967年6月1日 十周年記念式典を挙げ学園歌を制定す。
- 1968年4月1日 工学部に土木工学科増設 6月15日穴水湾自然学苑を開設
- 1969年6月1日 益谷記念館完成
- 1970年4月1日 工学部に建築学科、電子工学科、情報処理工学科を増設
- 1971年4月1日 情報処理研究所および教育工学研究所を設置。 11月5日建築、情報処理、電子工学科実験棟完成
- 1973年3月31日 金沢工業大学付属高等学校閉校 4月1日金沢工大館落成(第14号館)大食堂、購買、各県新聞コーナー、自習室 6月1日金沢工業大学長に京藤睦重就任。 6月2日金沢工業大学湊谷柔道場落成。 8月27日学校法人金沢工業大学理事長に百万彦邦就任。 9月21日扇が丘診療所開設。
- 1974年1月31日 文部省より工学専攻科に土木工学専攻、建築学専攻、電子工学専攻、情報処理工学専攻、設置許可。 6月1日扇が丘診療所内歯科開設。
- 1977年 金沢工業大学付属幼稚園の経営母体を北陸学院短期短期大学付属幼稚園に移す
- 1978年 大学院修士課程開設(工学研究科機械工学専攻、土木工学専攻、情報工学専攻)
- 1980年 大学院博士課程開設(工学研究科機械工学専攻、土木工学専攻、情報工学専攻)。大学院修士課程工学研究科に建築学専攻、電気電子工学専攻増設。
- 1982年 大学院修士課程工学研究科に経営工学専攻増設。大学院博士課程工学研究科に電気電子工学専攻増設。
- 1986年 工学部に機械システム工学科増設
- 1987年 工学部情報処理工学科を情報工学科に。
- 1990年 大学院博士課程工学研究科にシステム設計工学専攻、材料設計工学専攻増設。
- 1993年 7月に夢考房開設
- 1995年 工学部に物質応用工学科、人間情報工学科、環境システム工学科増設。人材教育センター(現自己開発センター)、日本学研究所、工学設計教育センター開設。教育改革実施(工学設計教育導入・3学期制導入・専門コアカリキュラム導入)
- 1996年 マルチメディア考房開設
- 1998年 池の平セミナーハウス開設
- 2000年 工学部に先端材料工学科、居住環境学科増設。工学部物質応用工学科、経営工学科をそれぞれ物質システム工学科、経営情報工学科に。工学基礎教育センター開設
- 2003年 大学院博士課程工学研究科に建築学専攻増設。工学研究科土木工学専攻を環境土木工学専攻に
- 2004年 工学部を機械工学科、情報工学科、ロボティクス学科、航空システム工学科、電気電子工学科、 情報通信工学科の六学科に。環境・建築学部開設(バイオ化学科、環境化学科、環境土木工学科、建築学科、建築都市デザイン学科)。情報フロンティア学部開設(メディア情報学科、生命情報学科、心理情報学科、情報マネジメント学科)。大学院修士課程に心理科学研究科開設。(臨床心理学専攻)
[編集] 学部・学科
[編集] 大学院
- 工学研究科
- 機械工学専攻(修士課程、博士課程)
- 環境土木工学専攻(修士課程、博士課程)
- 情報工学専攻(修士課程、博士課程)
- 電気電子工学専攻(修士課程、博士課程)
- システム設計工学専攻(修士課程、博士課程)
- 材料設計工学専攻(修士課程、博士課程)
- 建築学専攻(修士課程、博士課程)
- 経営工学専攻(修士課程)
- 知的創造システム専攻(修士課程)
- 心理科学研究科
- 臨床心理学専攻(修士課程)
[編集] 大学関係者
- 理事長 泉屋利郎
- 学長 石川憲一
[編集] 著名な出身者
[編集] 著名教員
[編集] 所在地
- 扇が丘キャンパス(メインキャンパス) 石川県石川郡野々市町扇が丘
- 八束穂キャンパス 石川県白山市八束穂
- 穴水湾自然学苑 石川県鳳珠郡穴水町由比ケ丘
- 先端電子技術応用研究所・天池自然学苑 石川県金沢市天池町
- 池の平セミナーハウス 新潟県妙高市池の平
- 東京虎ノ門キャンパス 東京都港区愛宕
- 東京事務所・東京赤坂研究所 東京都港区赤坂
- 東京原宿研究所 東京都渋谷区神宮前
[編集] 公式サイト
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