平田淳嗣
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平田淳嗣 | |
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プロフィール | |
リングネーム | 平田淳嗣 スーパー・ストロング・マシン ストロング・マシン 魔界1号 ブラック・ストロング・マシン |
本名 | 平田淳嗣 |
ニックネーム | 心優しき無頼漢 |
身長 | 183cm |
体重 | 115kg |
誕生日 | 1956年12月20日 |
出身地 | 神奈川県平塚市 |
所属 | 新日本プロレス |
スポーツ歴 | 柔道 ボディビル |
デビュー | 1978年 |
平田 淳嗣(ひらた じゅんじ、1956年12月20日 - )は、神奈川県平塚市出身のプロレスラー。
新日本プロレス所属。そのレスラーとしてのキャリアにおいて、覆面レスラーのストロング・マシーン、またはスーパー・ストロング・マシーンのリングネームで知られる。身長183cm、体重115kg。デビュー時のリングネームは、当時の本名である平田淳二だったが、その後本名を平田淳嗣と改名したためリングネームも改名した。
目次 |
[編集] 経歴
高校時代から柔道やボディビルで身体を鍛え、高校を中退して1978年5月に新日本プロレスに入門し、同年8月藤原喜明戦でデビュー。「長州2世」と呼ばれ前田明らと前座で戦っていたが、1982年11月にメキシコ遠征に出発した後カナダのカルガリーに転戦し、「サニー・トゥー・リバース」というリング名で活躍した。
1984年8月に帰国すると、マネージャーの将軍KYワカマツ率いる「マシン軍団」の一員として若松に操られる機械という設定の覆面レスラー「ストロング・マシーン」にギミック変更した。当時、記者がマシーンに話しかけると「ギギギ…ガガガ…」という機械音が聞こえた、という記事が新聞紙上を飾っている。後年このことを記者がたずねると「屁でもした音だろ」と答えた。
1985年4月に「マシン軍団」は仲間割れ(藤波辰巳との決着戦をワカマツがパウダー攻撃でぶち壊したため。その試合で藤波辰巳に「おまえは平田だろう」とマイクパフォーマンスで公然の秘密を暴露された)し、正規軍入りするかと思われえたが「スーパー・ストロング・マシーン」に改名後も、正規軍とは距離を置いてファイトする。
藤波辰巳がヘビー級に転向してから体格的に使うことが出来なかったドラゴンスープレックスを2度もしかけられている(うち1度はピンフォール)。「平田の体格が投げやすかった」からともいわれているが、平田の持ち味である「受け」のうまさ(相手に余計な負荷をかけることなく技を受けることができる、という意)も多大に影響していると思われる。
その後、8月にヒロ斎藤・高野俊二と「カルガリーハリケーンズ」を結成して1986年に全日本プロレスに参戦した。この間阿修羅原とアジアタッグ王座を獲得している。
全日時代では、先に新日から移籍した長州力と抗争。決着戦でも決着がつかず、エキサイトの余り、この時初めて自らマスクを脱ぎ、長州に叩きつける。(但しセコンドの高野俊二が、タオルで素早く頭を覆い素顔を隠した)
1987年、長州力らと共に、新日本プロレスに復帰。 翌年、長州の「俺らが今時代を変えるんだ」という呼びかけがありNEWリーダー軍として長州力・藤波辰巳・前田日明・木村健吾(現・木村健悟)らと共闘し、アントニオ猪木・坂口征二・マサ斎藤・星野勘太郎(ディック・マードック)・藤原喜明(武藤敬司)らのNOWリーダー軍と世代闘争を行なった。
1989年にジョージ高野とのタッグ(烈風隊)で、1990年にヒロ斉藤とのタッグで、それぞれIWGPタッグ王座を獲得。一時期WARのリングにも参戦した。
1994年10月、SGタッグリーグに蝶野正洋とタッグを組まされ出場するも仲間割れ。優勝決定戦に進出するがその試合中リング上で、又しても自らマスクを脱ぎ、パートナーの蝶野に叩きつけた。この際、会場は尋常ではない「ヒ・ラ・タ!ヒ・ラ・タ・!」コールで包まれた。試合後、「しょっぱい試合してすいません!」とファンに謝罪。その後は平田淳嗣として活動するようになり、1995年7月に橋本真也とのタッグで再びIWGPタッグ王座を獲得した。
1999年から選手会長として「まとめ役」に徹していたが、同時期のレスラー活動では「スーパー・ストロング・マシーン」や星野総裁率いる「魔界倶楽部」の「魔界1号」として、マスクマンとしても活動している。またラブマシンズの一員である「スーパー・ラブ・マシン1号」として全日本マットにも登場した。現在は「ブラック・ストロング・マシン」として活動しており、平田本人は「目のケガのため欠場」ということになっている。
2005年にスポークスマンの地位に後藤達俊とともにつくが、新日本に復帰してきた長州力と対立し一方的な解任処分を受ける。これを機に再び反体制勢力に回っている。
2006年単発興行「WRESTLE LAND」のスポークスマンとなる。記者会見で「マシンは『誰が来ようが、覚悟しておけ!』とも言っていました」と発表し、マシンと平田は別キャラクターである設定を再度用い始めた。
[編集] マスクマンとしての平田
[編集] ストロング・マシン
デビュー当初は「ストロング・マシーン」の呼称・表記だったが現在は「ストロング・マシン」と呼称・表記される場合がほとんど。
将軍KYワカマツに操られる設定で1984年8月24日に後楽園ホールに初登場し、最初は一人だったが「増殖した」事で戦慄の殺戮マシーン「ザ・ストロング・マシーンNo.1、No.2」の二人組となり、最終的には1号から4号まで存在した。
マシンの本名・経歴は不明だが、好物は中華料理と週刊プロレスの選手名鑑には必ず載っていた。ブラックになってからはカツカレーに変わっている。
レスラーとしての評価は別にして、ストロング・マシーンのマスク自体はデザイン・機能性など評価は高い。目元や口元の開口部は大きいが、メッシュ(網目)構造でラメが施されている為キラキラと輝き、素顔は全く見えない。赤、オレンジ、黒系統のマスクを使い分けていた。
なお、このストロングマシンマスクとして一般に広く認知されているマスクデザインであるが、もともとはジョージ高野がザ・コブラのプライベートマスクとしてデザイン発注したものが当時の公認マスク職人がマシンの共通であったために流用されたものと言われている。
桜庭和志がPRIDEのリングに登場する際にマシン風のマスクを被って以来現在でも「仮面39ライダー」のキャラクターとして使われている。桜庭公式サイト
桜庭のほかにも、アンドレ・ザ・ジャイアント、マスクド・スーパースター(ビリー・クラッシャー)、安生洋二、後藤達俊、石澤常光、高木功などがマシンマスクを被り、平田の意思とは関係なく、マシン軍団は現在も増殖し続ける。
[編集] スーパー・ストロング・マシン
「マシン軍団」から離れて活動するようになった以外は、外見上のデザインはほとんど変化ない。 2006年5月13日に行われた第1回WRESTLE LANDにて、久々にスーパー・ストロング・マシンとして試合を行った。今日でも会場人気は高く、「おまえは平田だろ~」という野次が絶えない。
[編集] リングネーム
平田淳嗣が名乗った事があるリングネーム。
- 平田淳二
- ザ・ストロング・マシーンNo.1
- ストロング・マシーン1号
- スーパー・ストロング・マシーン
- 魔界1号
- スーパー・ラブ・マシン
- 平田淳嗣
- ブラック・ストロング・マシン
- サニー・トゥー・リバース
[編集] 獲得タイトル
- IWGPタッグ王座
- アジアタッグ王座
[編集] こぼれ話
メキシコ武者修行当時、一緒に遠征してたジョージ高野、ヒロ斎藤、保永昇男らが、環境が合わず痩せていく中で唯一、平田だけが 増量していたため、取材に来た記者達に「何食って太ったんだ?」と不思議がられた。
新日内で、キン肉マンをモチーフにした覆面レスラーの企画が持ち上がり、ストロング・マシーンになる前の平田がリストアップされた。作者のゆでたまごや集英社の了承を得ていなかった為、クレームが付き、企画は没となっている。
但し、ストロング・マシーンとなる直前に「謎のマスクマン」として覆面の上に目出し帽を付けて登場している。その際、わずかに覗くマスクや頭頂部がとがっている等の特徴から、実際にキン肉マンの覆面をしていたのではないかという説もある。またその目出し帽での登場の際に、ある記者が 「彼は何者か?」と聞いたのに対し、将軍kYワカマツが「ストロングなマシーンだ」と答えた事が、ストロング・マシーンの命名の由来であるという説もある。