高木市之助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
文学 |
ポータル |
各国の文学 記事総覧 |
出版社・文芸雑誌 文学賞 |
作家 |
詩人・小説家 その他作家 |
高木 市之助 (たかぎ いちのすけ、1888年(明治21年)2月5日- 1974年(昭和49年)12月23日は 日本の国文学者である。名古屋市出身。東京帝国大学を卒業し、第五高等学校、文部省図書監修官、(旧制)浦和高等学校教授を経て、京城帝国大学、九州帝国大学、日本大学の教授を歴任する。日本学術会議会員、上代文学会長、昭和44年(1969年)歌会始召人を務める。上代文学、とりわけ万葉集を中心に研究し文学論の確立に努めた。『吉野の鮎』ほか著書多数。校歌の作詞も手がけ、中でも福岡県立筑紫丘高等学校の校歌は記紀万葉・変体漢文を思わせる全文が漢字のユニークなものである。また、大正期の国定国語読本『尋常小学国語読本』編集の中心となった。
[編集] 関連項目
カテゴリ: 文学研究者 | 1888年生 | 1974年没 | 人名関連のスタブ項目