ANTHEM
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ANTHEM | |
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出身地 | 日本、東京 |
活動期間 | 1981~1992、2001~ |
ジャンル | ヘヴィメタル |
レーベル | キングレコード ビクターJVC |
メンバー | 柴田直人(B) 坂本英三(Vo) 清水昭男(g) 本間大嗣(dr) |
旧メンバー | 森川之雄(Vo) 福田洋也(g) 大内貴雅(Dr) 中間英明(g) 前田敏仁(Vo) 小柳彰史(g) |
ANTHEM(アンセム)は、80年代初期から活動している日本のヘヴィメタルバンド。
1985年にデビュー。幾多のメンバーチェンジの末、1992年に一度解散するも、2001年に再結成して現在も活動中。
目次 |
[編集] メンバー
- 柴田直人 (リーダー、ベース、メインソングライター)
- 坂本英三 (ヴォーカル、1985年~1987年、2001年~)
- 清水昭男 (ギター、1991年~1992年、2000年~)
- 本間大嗣 (ドラム、元FLATBACKER (EZO)~LOUDNESS、2001年~)
[編集] 歴代メンバー
- 前田“トニー”敏仁(ヴォーカル、1981年~1984年)
- 森川之雄(ヴォーカル、1988年~1992年)
- 小柳彰史(ギター、1981年~1983年)
- 福田洋也(ギター、1983年~1990年)
- 中間英明(ギター、1990年~1991年)
- 大内“MAD”貴雅(ドラム、1981年~1992年、2000年)
[編集] サポート、ゲストメンバー
[編集] 来歴
[編集] 結成からデビューまで
元ブラック・ホールのベーシスト、柴田直人を中心に1981年に結成された。結成当時のメンバーは柴田、前田“トニー”敏仁(Vo)、小柳彰史(G)、当時18歳の大内“MAD”貴雅(Dr)の4人。結成当時のステージネームは柴田“マグナム”直人、前田“アンヴィル”敏仁、小柳“レイヴン”彰史、大内“ヴェノム”貴雅であり、主に渋谷の屋根裏等で練習していた。
1982年当時、アースシェイカーやマリノや44マグナム等関西のバンドが関東でも猛威を奮っており、アンセムは関西勢への対抗馬として“関西ヘヴィ・メタル殴りこみギグ”に参加。 このライブがきっかけで44マグナムやマリノのサポートを務め、関東だけでなく関西にまで知名度を広げていった。
当時のアンセムのライヴでは“デッド・ノーマッズ”なる親衛隊のような軍団が一斉にヘッドバンギングする光景が見られた。
その後「もっと強力なギタリストが欲しい」と考えたバンドは小柳を解雇し、1983年に和製エドワード・ヴァン・ヘイレンの異名をとっていた元アンサーの福田洋也(g)を迎える。レコード・デビューの話が舞い込んだが、今度はヴォーカルの前田がツアーの疲労と音楽性の食い違いにより脱退してしまう。
突然のヴォーカル脱退に戸惑うメンバーは1年近い後任探しを余儀なくされ、活動は休止。そして翌年、バンドは元レゾナンスの坂本英三(Vo)をオーディションで加入させ、キング・レコードより「ANTHEM~パワーメタル戒厳令」でデビュー。
[編集] メジャー・デビュー
1985年にデビューを飾ったアンセムは年数十本の過酷なツアーを開始、翌年1986年4月には2ndアルバム「TIGHTROPE」をリリース。再び怒涛のライヴハウスツアーを開始する。同年11月2日には、学園祭でのライヴにて主催した学生のミスにより数十人の学生が酸欠で倒れる事故が起こった。これは後に“酸欠GIG”と呼ばれ、伝説として語り継がれるようになった。
酸欠GIGの後もツアーが続く中、翌年1987年3月にはファンの間で名盤と呼ばれる3rdアルバム「BOUND TO BREAK」をリリース。ツアー会場の規模も徐々にライヴハウスからホールへと拡大していった。同年6月には海外公演も行い、その海外公演を収めたライヴアルバム「THE SHOW CARRIES ON!」を10月にリリース。だが、成長著しかった坂本英三がバンドへの責任感からくるプレッシャーとツアーによる疲労、プライベートでは子供ができた為に音楽で生活するには不安(その後メガネドラッグの社員、タクシーの運転手などの仕事に就く)という理由から脱退してしまう。再び危機をむかえたが、“沼津のグラハム・ボネット”の異名をとる森川之雄の加入によりバンドのスケール感は更に増していくこととなった。
1988年5月、森川加入第一弾として4thアルバム「GYPSY WAYS」をリリース。翌年1989年5月には5thアルバム「HUNTING TIME」をリリース。しかしこの頃からリーダー柴田と福田洋也との関係が少しずつ悪化していった。翌1990年には二人の仲は修復不可能となり、同年2月、次回作のアルバムのレコーディングを終了した後、浜松でのライヴを最後に福田洋也は脱退してしまう。
「即戦力となるギタリストが必要」と判断したバンドは3月には元ハリー・スキュアリーのギタリストでルックスも良く、メロディアスなギターソロを弾く事で注目されていた中間英明を加入させ、6thアルバム「NO SMOKE WITHOUT FIRE」をリリース。4月には韓国公演を成功させたりと一時はスーパーバンド的な見方をされ注目されていたが、91年初頭、中間がバイク事故を起こし活動はストップし、海外へのアプローチをするという約束で加入させた中間が、ジャパメタの域を出ないバンドに耐えかね、脱退を申し入れた。(注1)
またしてもバンド存続の危機に陥ったアンセムに、8月、森川の知り合いを通じてオーディションに参加した当時20歳の清水昭男が加入し、数ヶ月後にはレコーディングの為渡英する。1992年3月には7thアルバム「DOMESTIC BOOTY」をリリースするが、時代は既にヘヴィメタル冬の時代に突入しており、バンドもその煽りを受けて5月には森川の脱退により解散を表明。同年7月の日清パワーステーションのライヴを最後にアンセムは解散した。
- (注1)中間の脱退に関しては、中間の意見と他のメンバーとの意見が食い違っており、柴田や森川の話によれば中間のステージにおける姿勢(原曲を無視したプレイ(主に速弾きに走りがちだった)や態度)がアンセムに合わなかったこともあり、解雇になったと言う説もある。また、BURRN!のインタビューによれば森川は当初、中間の加入は反対していたそうだが、加入後は中立的な立場にいたそうである。
[編集] 解散後~再結成
解散後、ライヴアルバム「LAST ANTHEM」と「BESTⅡ」がリリースされるも、これらのアルバム制作にはメンバーは一切関与していない。
解散までに脱退したメンバーのうち、坂本英三は1989年に練馬マッチョマンなるバンドを結成し、1枚だけアルバムをリリースした後、活動を休止。1996年にはアニメタルのヴォーカリストとしてメジャーシーンに復帰。1stの「アニメタル・マラソン」はアニメファンとヘヴィメタルファン両方の支持を得て30万枚以上の売り上げを記録するヒット作となり、ジャパメタ復興のきっかけにもなった。その後はJAM Projectに「さかもとえいぞう」として参加するなど、アニメ界での活動も盛んである。(アンセムではこれまで通り坂本英三)
ギターの福田洋也はトニー前田とフィンガーというバンドを結成するも長くは続かず活動休止。1998年にはアニメタルにあやかって「演歌メタル」をリリースする。現在は(本人曰く)音楽を引退して写真家として活動している。
中間英明はエメラルド・フォレストを結成するも長く続かず、その後渡米しヘル・アンド・バックなるバンドを結成する。
一方、解散時のメンバーについては、まずVoの森川之雄は清水とともにハリウッドを結成するも数回のライヴを経て活動休止。清水はシャイ・ブルーというバンドを結成するがレコード会社とのトラブルにより2年で解散。その後は作曲家・スタジオミュージシャンとして活動。主にジャニーズ系を中心に楽曲提供をしており、2005年にはトラジ・ハイジに提供した「ファンタスティポ」が大ヒットした。森川は現在も活動中のロックンロールバンドザ・パワーヌードを結成。2003年には元プレシャスの梶山章とゴールドブリックを結成する。
ドラムの大内は1998年にバンビィノでデビューするも2年で解散。その後は元プリンセス・プリンセスの中山加奈子、LOOPUSの澄田健らとともにVooDoo Hawaiiansを結成。現在は森川のザ・パワーヌードに参加している(2005年末に脱退した模様)他、2005年末まで元ザ・イエロー・モンキーの廣瀬洋一とのヒーセ・ウィズ・デュースで活動していた。
そして、リーダーの柴田直人はバンド解散後、バンド活動での精神的疲労によりヘヴィメタルの世界から距離を置き、ビーイングの作曲家として活動していた。しかしそれから二年後の1994年12月にはラウドネスに電撃加入し、ファンを驚かせた。
1999年にはレインボー~マイケル・シェンカー・グループ~アルカトラスの元ヴォーカル、グラハム・ボネットをゲストに迎え、アンセムの名曲を全英語詞で再録したアルバム「HEAVY METAL ANTHEM」を2000年に発表。これがきっかけとなってリーダー柴田は2001年、坂本英三、清水昭男、それにラウドネス時代の盟友・本間大嗣を迎え入れ再結成。今までにない編成で21世紀型のアンセムを目指すべく動き出した。
その後はコンスタントにアルバムを発表、ライブ活動も意欲的に行っている。2005年には本間が膝の手術をするアクシデントもあったが、7月にはデビュー20周年を機に歴代メンバーを集結させてライヴツアーも行いファンを喜ばせた。関東公演には関係断絶状態とされていた中間英明がスペシャルゲストとして登場し、客席がどよめく一幕もあった。
[編集] エピソード
- アンセムといえば業界内では「頑固一徹」「軍隊的」なイメージとされているが、それらはあくまで音楽に対する姿勢であり、普段のバンドメンバーは非常にONとOFFの差が激しい。インタビューや音楽では真面目な彼らが楽屋裏では芸人顔負けのキャラに変貌してしまい、特に柴田と大内は他人を笑わせたりブラックジョークをやり出したりと芸人根性を見せている。過去にロッキンfにおいて柴田が自分の鼻にスパゲティやマカロニを入れたりしてる写真が掲載されたり、大内は私服でのメンバー集合写真で一人だけ割り箸を鼻に突っ込み、耳にはオタマを乗せそのポラ写真に「ROCK!!私はばか」と書いたりするなど、とにかく冗談好きである。
- 坂本英三加入時のオーディションには森川之雄も来ていたが、坂本が選ばれたのはなぜかと言う理由について柴田は「英三の方がアンセムの曲を上手く歌えてたから」と語っていたが、ここ最近はメンバー(特に柴田)が冗談交じりに「森川のルックスがパンチパーマかつヤクザルックで怖かったから」と発言している為、そちらが通説となってしまった。実際、森川はオーディションにパンチパーマ姿で現れたようである。なお、当時の森川のパンチパーマ写真はOFFICIAL BOOTLEGのブックレットで確認出来る。
- 87年頃、ロッキンf誌の“ミュージシャンの城”と言うアーティストの自宅公開コーナーで大内の自宅が公開され、シンバルで目玉焼きを焼くと言う珍妙な技を披露している大内の姿が掲載された。この写真がきっかけでヘヴィメタル以外のミュージシャンからの認知度を得たとのこと。
- 90年の数年ぶりに札幌でライヴをやることになったアンセム御一行。だが、そこで待っていたのはとんでもない事件だった。後に“ランダム事件”と呼ばれてしまうこの事件の詳細については「アンセムの殿堂、札幌事件の真相」にて。
- (電話に)つかまりたくないという理由で今まで携帯電話を持たなかった柴田だが、2004年頃から バンドメンバーやレコード会社に「携帯くらい持っていてください!」と言われてから、しぶしぶ購入したが、携帯を持ってからはメンバーらに真夜中に変なメールや変な顔した写メールを送ったりと、ささやかな悪戯をしているそうである。
- 20周年記念のライヴDVDのボーナスディスクには柴田による就寝中のメンバーを叩き起こすドッキリ企画が収録されており、その中で大内一人だけが全裸で登場し(大事な部分はアンセムのロゴで隠されていた)、80年代のギャグの多かったアンセムを知る古参ファン(特に大内のファン)には別の意味で評判が良く、再結成後から入ったファンに衝撃を与えた。
[編集] 代表曲
- Wild Anthem
- Warning Action!
- Steeler
- Victim In Your Eyes
- Night Aafter Night
- Tightrope Dancer
- Bound To Break
- Show Must Go On!
- Soldiers
- Machine Made Dog
- Gypsy Ways
- Cryin' Heart
- Silent Child
- Shout It Out!
- The Juggler
- Hunting Time
- Evil Touch
- Shadow Walk
- Hungry Soul
- Blinded Pain
- Do You Understand
- VenomE Strike
- Grieve Of Heart
- Running Blood
[編集] ディスコグラフィ
[編集] オリジナルアルバム
- キングレコード時代の品番は2005年のデジタル・リマスター盤
- ANTHEM 1985年(キング KICS-1172)
- READY TO RIDE 1985年(未CD化/廃盤)
- TIGHTPORE 1986年(キング KICS-1173)
- BOUND TO BREAK 1987年(キング KICS-1174)
- GYPSY WAYS 1988年(キング KICS-1175)
- HUNTING TIME 1989年(キング KICS-1176)
- NO SMOKE WITHOUT FIRE 1990年(キング KICS-1177)
- DOMESTIC BOOTY 1992年(キング KICS-1178)
- SEVEN HILLS 2001年(ビクター VICP-61464)
- OVERLORD 2002年(ビクター VICP-62023)
- ETERNAL WARRIOR 2004年(ビクター VICP-62775)
- IMMORTAL 2006年(ビクターVICP-63550)
[編集] ライヴアルバム
- THE SHOW CARRIES ON! 1987年(キング KICS-2872)
- 87年のロサンゼルス、カントリークラブでの初の海外公演。
- LAST ANTHEM 1992年(廃盤)
- 92年7月、日清パワーステーションでのラストライヴ、残念ながら現在廃盤。
- LIVE MELT DOWN 2003年(ビクター VICP-62308)
- 2003年のOVER LORDツアーから東京、大阪、名古屋でのベストテイクを収録したもの
- THE SHOW CARRIES ON! COMPLETE VERSION 2005年(キング KICS-1170~71)
- LA公演の完全版。差し替え一切なしの上にDISC2には渋谷公会堂でのライヴ音源が追加された。
- PROLOGUE LIVE BOXX 2005年(3枚組)(ビクター VICP-62112~14)
- 1st~3rdまでのアルバムを現メンバーで(1stの再現ライヴのみ元メンバーの大内が叩いている)MC無しで演奏されたライヴアルバム。
[編集] ベスト盤、その他、企画アルバム等
- BEST 1990年(廃盤)
- ファン投票により選曲されたベスト盤、中間英明在籍時の音源が1曲収録されている。
- BEST II 1992年(廃盤)
- 解散後に発売されたベストアルバム。森川時代が中心になっている。
- THE VERY BEST OF ANTHEM 1998年(キング KICS-2812)
- ロッキンf編集部監修により選曲されたベストアルバム
- HEAVY METAL ANTHEM 2000年(ビクター VICP-60992)
- アンセムの名曲を元レインボーのグラハム・ボネットを迎えて制作された企画アルバム。このアルバムがきっかけで再結成へと動き出した。
- ANTHEM WAYS 2001年(キング KICS-870)
- リーダー柴田直人による選曲、一部の曲をリテイクしたベスト盤。ドリーム・イーヴルのフレドリック・ノードストロムによるリミックス盤。コンチェルト・ムーン、ダブル・ディーラーの島紀史(G)が一曲参加。
- OFFICIAL BOOTLEG 2005年(キング KICS-1168~69 5000枚限定版)
- デビュー時から解散時までのブート音源を集めたDISC1、デビュー前のデモ音源や清水昭男のオーディション音源等を収録したDISC2、貴重な映像とリーダー柴田のバンドの歴史を振り返る証言を収めたDVDの3枚を収めたボックスセット。
- FALCOM SPECIAL BOX '90 1989年(廃盤)
日本ファルコムで企画されたゲーム音楽CD4枚組ミニアルバム集でへービーメタルバージョンを担当、3曲ほどヴォーカルバージョンを収録
[編集] DVD
- ANTHEM back then 2001年(キング KIBM-34)
- 87年7月、渋谷公会堂でのライヴを収めたライヴビデオ。DVD化の際に当時の事務所社長である伊藤政則と柴田と英三の3人による対談、家庭用ビデオで撮影された(撮影者はBURRN!の大野奈鷹美)L.A.でのライヴ&オフショット、森川時代のPVが追加された。
- LIVE MELT DOWN THE SHOW STILL CARRIES ON 2003年(ビクター VIBP-19)
- 2003年1月のクラブチッタ川崎でのライヴを収めた作品。再結成後のPV2曲収録。
- 20周年ツアーを収めた2枚組のDVD。DISC1は2005年7月23日、クラブチッタ川崎で行われた現メンバーだけでなく、森川、洋也、大内、中間(中間は東京公演のみ)と言った歴代メンバーが集合し、当日のセットリストが全て収録された豪華な内容。DISC2はインタビューを含めたツアードキュメンタリー&ドッキリ企画
[編集] 出版物
[編集] 書籍
- ANTHEM BIBLE 2005年 (ドレミ出版)
[編集] 外部リンク
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