TERU
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TERU(テル、本名:小橋 照彦(こばし てるひこ)、1971年6月8日 - )は、日本のミュージシャンで、バンド・GLAYのボーカル。北海道函館市出身。北海道函館商業高等学校卒業。血液型はO型。愛称は「てっこ」。
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[編集] 経歴
小学生の頃からスポーツ少年で(しかし現在でも水泳だけは苦手)、中学の頃には野球部に所属していた。 絵も得意であり、「北海道絵画コンクール」で銅賞を獲得するほどの腕前だった。現在も主にパソコンを使用してイラストなどを製作、公開している。有名なところではVIDEO GLAY4、5(PV集)のジャケットイラストなど。
1987年の夏辺りに小学校・中学校と一緒であるサッカー部の先輩に「ちょっとドラムをやってみないか?」と勧誘され、聖飢魔IIのコピーバンド「花とゆめ」に加入。ドラムを担当し、文化祭で披露した。しかしTERUの家にはドラムセットなど無く、親戚の叔母さんが営むスナックの椅子などを使って練習していたようだ(後にTAKUROと共にGLAYの活動を始めた頃にはTERUの部屋は防音処置が施されていたとTAKUROは語っている)。
1988年の3月頃、小・中学校の同級生であるTAKUROに誘われ、GLAYの活動を始める。当初はドラムでの加入であった。ある日TAKUROがTERUの家にまだ歌の入っていないデモテープを置き忘れ、歌があったほうが何かとやりやすいだろうと考えたTERUが歌を入れてみたところ、TAKUROが「神がかった声」と感じて腰を抜かした。これがボーカルへ転向するきっかけとなった(ただし、本人はTAKUROが受けた衝撃をあまり理解出来ていなかったらしく、先輩を新ボーカルとして連れてきてドラムに戻ろうとしたが、TAKUROにより却下されボーカルに戻されるというエピソードもある)。また、新しいドラムが見つかるまで、マイクを天井からぶら下げてドラムを叩きながら歌っていた。同年7月にはGLAYとしての初ライブを行う。
TERUが姉の結婚式でTAKUROと「ずっと2人で…」を演奏、披露したのもこの頃の話である。
上京~インディーズ時代 1990年4月~1994年5月24日
上京後は赤羽の凸版印刷(株)に務める傍らバンド活動を続けていたが両立出来ず、会社を約3ヶ月で辞めてしまった。7月に居所を埼玉県内に移し、その後はさまざまな仕事をしながら、バンド活動を行う。
12月6日 メンバープロデュース・ファンクラブ限定ライブの一環として、TERUプロデュース「THE MEN WHO SOLD THE WORLD」をZeppTokyoで行う。男性限定のライブであったことから、「男ナイト」と呼ばれ、以後福岡、大阪でも行われることとなる。
4月 坂本龍一を中心とする地雷排除支援活動地雷ZEROに協力し、チャリティーソング『Zero Landmine』に参加。
8月27日 TERUプロデュース・男性限定ライブ「BOYS ONLY NIGHT」を大阪BIGCATで行う。通算3回目の男ナイトで、チケットはSOLD OUT。このライブ限定のグッズは現代女浮世絵師であるツバキアンナとTERUのコラボレーションであった。
7月18日千葉ポートパーク円形広場野外ステージにて、自身がDJを務めるラジオ番組の開始10周年を記念して、イベント「TERU ME NIGHT GLAY 10th ANNIVERSARY SPECIAL ~Summer of 05~」を行う。
ほっとけない 世界のまずしさキャンペーンに参加。
同年12月3日12月4日に行われた「White Band FES.(ホワイトバンドフェス)」にもGLAYとして参加した。
親交のある山本シュウに誘われ、レッドリボンキャンペーン2005に参加。
Yahoo! JAPANでの特集や、ファンクラブ会報などで対談を行う。
12月21日 BUCK-TICKの20周年を記念したトリビュート・アルバム「PARADE ~RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK~」に「悪の華」でHISASHIと共にrallyとして参加。
rally(HISASHI:Guitar+ ウエノコウジ:Bass+ MOTOKATSU:Drums+TERU )のボーカルも務めている。
[編集] 人物
- 兄弟は姉1人と妹1人。
- 趣味は料理であり、その腕前はメンバーも絶賛するほどである。
- 妻はパフィーの大貫亜美だが、それ以前に1度、バンドのファンだった女性と結婚している。(離婚⇒その後、大貫と再婚。前妻との間に一男一女、大貫との間に一女もうけている。)
- 生まれもった天然で迷言が多く、ファンの間では「TERU語録」として親しまれている。
- 小さい頃鳥に襲われた経験から鳥が苦手になり、音楽番組で「シングルのPV撮影で腕に鷹を乗せる場面はとても怖かった」と話している。
- 普段から温和な性格で親しまれ、アマチュア時代にはメンバーが風邪を引いたりするとうなぎを買ってきてドアにこっそりかけてくれるというエピソードもある。しかし夏だったためにうなぎが腐ってしまい誰かの嫌がらせかとTAKUROは思ったらしい。
[編集] レギュラーラジオ番組
- 『TERU ME NIGHT GLAY』(BAY-FM)
2005年7月18日、『TERU ME NIGHT GLAY』とその前身である番組を含め10周年であることを記念し、ラジオ番組公開録音『TERU ME NIGHT GLAY 10th ANNIVERSARY SPECIAL ~Summer of 05~』を千葉ポートパーク円形広場野外ステージで開催。 テルミーリスナー12万人の応募者の中から1万人を抽選により選び、招待した。 その他、声だけでも聞きたいと集まった50人のテルミーリスナーも参加し、総勢1万と50人による公開録音になり、「史上最大のラジオ番組公開録音」としてギネスに申請することになる。
[編集] TERU語録
TERUがライブやラジオ、テレビ番組などで発した迷言を収録した、ファンが心の中に持っている語録。
例として、
- 『上を向いて歩こう/坂本九を洋題([SUKIYAKI])で言おうとしたが、「やきにく」と言った』=TAKURO談より
- 以前、自分たちが演奏しているシーンをTV番組で放送されているのを見て、「あれっ?これ生(放送)?」と一緒にいたメンバーに訊いた事がある。
- ライヴツアーの東京最終公演で「今日は、最後のファイナルだ。」(同様に「今年最初の秋」「新しい新作」などを発言。)
- 日本武道館のことを、東京武道館と言った。(東京武道館は他にある。)
- 大阪でのライブで何を思ったか「サンキュー、名古屋!」と大声で言ってしまい、歓喜に沸いていた観客を鎮まり返らせた事がある。
など。 ちなみに、TAKUROは「『胸懐2』を書くとしたらTERU語録を載せる」とラジオで語った事がある。