やくも (列車)
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やくもとは、西日本旅客鉄道(JR西日本)が、岡山駅~出雲市駅間を山陽本線・伯備線・山陰本線経由で運行する特急列車。エル特急の一つでもある。
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[編集] 運行概況
- 列車番号は1011M~1040Mで、運転線区等で変更がない。下りは号数+1010の奇数、上りは号数+1010の偶数となる。1号=1011M、2号=1012Mとなる。
- 使用車両
- 381系電車(出雲鉄道部出雲車両支部所属)
- 時期によっては7両や9両等の編成で運転されることもあるが、原則として4・6両編成が使用される。4両編成の場合は2・3号車が欠番になる。
- 一部の編成にパノラマ型グリーン車を連結している。
- 種別・行先表示幕は、白地に黒字。JR西日本オリジナルの黒地に白字表示ではない。
- 岡山駅~倉敷駅間以外の全区間で振り子装置が作動するため、曲線部の多い伯備線内でも高速運転が可能となっている。
- 停車駅
- 岡山駅 - 倉敷駅 - (総社駅) - (備中高梁駅) - 新見駅 - (生山駅) - (根雨駅) - (伯耆大山駅) - 米子駅 - (安来駅) - 松江駅 - (玉造温泉駅) - (宍道駅) - 出雲市駅
- ()内の駅は一部列車のみ停車。
[編集] 伯備線優等列車沿革
- 1919年(大正8年)8月 伯備線の最初の開業区間である、伯耆大山駅~伯耆溝口駅間で列車の運行開始。
- 1928年(昭和3年)10月 伯備線、倉敷駅~伯耆大山駅間全通。
- 1953年(昭和28年)3月 岡山駅~松江駅間に快速列車「だいせん」を新設。それまで普通列車のみ走るローカル線に過ぎなかった伯備線が、陰陽連絡の主要路線となる契機となった。
- 1958年(昭和33年)10月 京都駅~大社駅間に、伯備線内ではそれまでの快速列車を格上げする形として、急行列車「だいせん」が設定される。なお、京都駅~岡山駅間では広島駅への「宮島」と併結運行した。大阪-山陰間ではそれまでの主要ルートであった福知山線経由よりも伯備線経由の方が距離が短く、山陽本線内では速度も速いという長所があった。
- 1960年(昭和35年)3月 岡山駅~出雲市駅間に、準急列車「しんじ」を新設。
- 1961年(昭和36年)10月 「サン・ロク・トオ」と呼ばれた大規模ダイヤ改正が実施され、以下のように変更される。
- 1962年(昭和37年)3月 広島駅~新見駅~米子駅間運行の準急列車「しらぎり」と、広島駅~新見駅~岡山駅間運行の準急列車「たいしゃく」を新設。なお、「しらぎり」の新見駅~米子駅間は「しんじ」と併結運行した。
- 1962年(昭和37年)10月 三原駅~出雲市駅間に、準急列車「皆生」(かいけ)新設。「だいせん」は気動車列車となり独立運行となった。
- 1965年(昭和40年)10月 「皆生」は運行区間を宇野駅~出雲市駅間に改め、「たまつくり」と改称。「しんじ」は運行区間を宇野駅~石見益田駅~小郡駅間に短縮。
- 1966年(昭和41年)3月 料金制度の改変により、「しんじ」・「たいしゃく」・「しらぎり」・「たまつくり」は急行列車に昇格。
- 1968年(昭和43年)10月 「ヨン・サン・トオ」と呼ばれた大規模ダイヤ改正を実施。「だいせん」は「おき」に、「しらぎり」は「ちどり」に改称された。「たまつくり」は「しんじ」に統合されて、「しんじ」は宇野駅~出雲市駅・小郡駅間の2往復となる。
- 1971年(昭和46年)4月 「おき」は、キハ181系気動車を使った新大阪駅~出雲市駅間運転の特急列車に格上げられ、初めて伯備線に特急が走ることとなった。これは、翌年の山陽新幹線岡山開業によって伯備線ルートに特急列車が多数設定される事が予定されていたため、その慣らしも兼ねていたとされる。
- 1972年(昭和47年)3月 山陽新幹線岡山開業により、近畿地方から山陰中部へ行くには「関西~岡山~米子~」のルートが最速となったことから、予定通り岡山駅~出雲市駅・益田駅間に4往復のキハ181系気動車を使った特急「やくも」が新設される。これにより「おき」は廃止された。また、伯備線内での「ちどり」・「たいしゃく」の運行も廃止され、「しんじ」2往復が伯備線を走る唯一の急行列車となるが、運行区間もこの時岡山駅~浜田駅・小郡駅へと改められた。
- 1973年(昭和48年)10月 「やくも」6往復に増発。
- 1975年(昭和50年)3月 「しんじ」は運行区間を岡山駅~米子駅間に短縮し、「伯耆」(ほうき)と改称。「やくも」はこの改正で本数は6往復のままであるがエル特急化される。一愛称の全列車が気動車の「エル特急」設定は初のケース。
- 1982年(昭和57年)7月 「やくも」は、伯備線全線と山陰本線伯耆大山駅~知井宮駅(現、西出雲駅)間電化に伴い、振子式電車である381系電車に置き換えられる。また同時に、急行列車「伯耆」2往復も「やくも」に統合。同時に「やくも」は食堂車を廃止。
- 1993年(平成5年)9月 寝台特急「出雲」2往復の内、下り1本(1号)を山陰本線での直流電化及び複線化工事の影響で、京都駅~伯耆大山駅間を山陰本線経由から東海道本線・山陽本線・伯備線経由にする。
- 1994年(平成6年)12月 「やくも」13往復の内、速達列車4往復を「スーパーやくも」とする。
- 1995年(平成7年)12月 「出雲」下り1本の運転経路を、再び山陰本線経由に改める。
- 1998年(平成9年)7月 「出雲」2往復の内1往復を285系電車(サンライズエクスプレス)の導入に伴い「サンライズ出雲」と改称し、東京駅~岡山駅間で「サンライズ瀬戸」と併結運行にしたため「サンライズ出雲」は伯備線経由となる。
- 2006年(平成18年)3月 「スーパーやくも」を廃止し、全列車の愛称を「やくも」に統一する。全ての「やくも」にグリーン車を連結。同時に生山駅、根雨駅を千鳥停車することにして、所要時間を平均化した。また、井倉駅への停車を廃止した。
[編集] 列車名の由来
(五十音順)
- 「出雲」 島根県東部の旧国名(令制国)「出雲」にちなむ。
- 「おき」 島根県の「隠岐諸島」にちなむ。
- 「皆生」(かいけ) 鳥取県米子市の「皆生温泉」にちなむ。
- 「サンライズ出雲」 下り方目的地である島根県東部の旧国名「出雲」に、使用車種である285系電車の愛称「サンライズエクスプレス」を合わせる。
- 「しらぎり」 広島県の三次市で、晩春から早春に掛けてみられる現象「霧の海」にちなむ。
- 「しんじ」 島根県の「宍道湖」にちなむ。
- 「スーパーやくも」 速達性を付した「スーパー」と基礎列車である「やくも」の合成。
- 「たいしゃく」 広島県の「帝釈峡」にちなむ。
- 「だいせん」 鳥取県の「大山」にちなむ。
- 「たまつくり」島根県松江市の「玉造温泉」にちなむ。
- 「ちどり」 鳥の「チドリ」と、松江城の別名「千鳥城」にちなむ。
- 「伯耆」(ほうき) 鳥取県西部の旧国名「伯耆」にちなむ。
- 「やくも」 島根県東部の旧国名出雲にかかる枕詞「八雲立つ」(やくもたつ)にちなむ。
[編集] 「やくも」 列車名としての沿革
上にもあるとおり、「やくも」の列車名は島根県東部の旧国名出雲にかかる枕詞「八雲立つ」(やくもたつ)にちなむものである。その為、島根県東部ないしはそこに掛かる交通の要衝となった鳥取県米子駅を発着する列車に命名される事例が多い。
[編集] 米子~博多間 準急「やくも」
- 1959年(昭和34年)9月 米子駅~博多駅間を山陰本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行する準急列車が設定され、同列車に「やくも」と命名。
- 1960年(昭和35年)9月 正明市駅(現、長門市駅)~下関駅間で、美祢線周りと山陰本線経由の列車を分割・再併結するようになる。以後この運転形態は、1985年(昭和60年)3月の「さんべ」廃止まで受け継がれた。
[編集] 新大阪~浜田間 特急「やくも」
[編集] 岡山~出雲市間 特急「やくも」
- 1972年(昭和47年)3月 山陽新幹線岡山駅乗り入れに伴い、現在の運転経路の新幹線連絡特急に変更。元の列車は「まつかぜ」と改称。
- 1994年(平成6年)12月 速達列車の一部を「スーパーやくも」とする。
- 2002年(平成14年) この年の3月16日・3月30日・4月27日にキハ181系気動車の引退を記念して、同車を使用した「リバイバルやくも」を各日1往復ずつ運行(リバイバルトレインの一種)。
- 2006年(平成18年)3月 「スーパーやくも」の愛称を廃し、すべての列車を「やくも」に統一。
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