アンジュー家
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アンジュー家( - け)は、フランス王国のアンジュー地方を統治した伯爵家である。後年、アンジュー伯を祖とする王朝が誕生したため、ここから誕生した王朝をアンジュー朝と呼ぶ事がある。ちなみに、イングランド王家のものと他のアンジュー家には直接の血縁関係はない。
[編集] イングランド王家・アンジュー朝
アンジュー伯フルク1世(在位909-942年)を祖とし、12世紀には周辺のトゥーレーヌ、ヴァンドーム、メーヌを支配。
後に、ガティネ家が伯位を継承する。11世紀中頃、ガティネ家のアンジュー伯アンリが「イングランド王ヘンリー2世」(在位1154-1189年)として即位して、プランタジネット朝を開き、イングランド、ノルマンディ、アキテーヌ、アンジュー、ブルターニュを領有してアンジュー帝国を築くが、ジョン王、ヘンリー3世の時代にはアンジュー、ノルマンディー地方などの大陸側所領を失う。プランタジネット朝は狭義には1399年まで、広義には1485年まで続いた。
なお、フルク5世(ヘンリー2世の祖父)が1131年にエルサレム国王の地位を獲得して、傍流へと継承されたが、1185年に男系は断絶している。その後、第3回十字軍の際にエルサレム王国では宗家筋にあたるイングランド国王リチャード1世(フルク5世の曾孫にあたる)に王位継承を要請しているが、拒絶されている。
[編集] シチリア・ナポリ王家・アンジュー朝
フランス王家(カペー朝)の流れを汲む貴族。イタリアではアンジョ(Angiò)家と呼ばれる。カペー系アンジュー家。プランタジネット朝となった旧アンジュー家がフランス国内の所領を没収された後、フランス国王ルイ9世の弟シャルルがアンジュー伯に任じられ、シャルルを祖とするアンジュー家が成立する。
シャルルは1246年、アンジュー伯、プロヴァンス伯となり、1266年にはシチリア・ナポリの王位に就いた(カルロ1世)。シャルルの後ナポリの王を輩出した(参照:ナポリとシチリアの君主一覧)。また子孫からはハンガリー・ポーランドの王家が出ている(参照:ハンガリー国王一覧)。
[編集] アンジュー公爵家
フランス王家(ヴァロワ朝)の流れを汲む貴族。フランス国王ジャン2世の子・アンジュー公ルイを初代とする公爵家。後にナポリ王レナート1世を輩出したが、同王に男子がなくて断絶。庶流でロートリンゲン公国を獲得したものがいるが、こちらも後に断絶している。