エンブラエル
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エンブラエル(EMBRAER、Empresa Brasileira de Aeronáutica S.A.)はブラジルの航空機メーカー。ブラジル最大の輸出企業であり、2000年代に入って急成長している優良企業として注目を集める。
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[編集] 歴史
[編集] 国策企業
エンブラエルは1969年、ブラジルの国営企業として誕生した。ブラジル空軍の航空技術研究所の技術者の力によって、優秀なプロペラ機「バンデランテス」、「ブラジリア」を立て続けに発表、小型旅客機として日本を含む世界中の数多くの航空会社で運行され、成功を収めた。「ブラジルの誇り」と言われた所以である。また「ツカノ」は二人乗りの小型プロペラ機でありながら、ゲリラ掃討用の戦闘機として現在も利用されている。
ところが、国営のため社員に公務員気質がはびこり、1980年代から徐々に赤字になっていくが、一向に体質改善に意識が向かわなかった。
1990年、当時にして3億米ドルの開発費用を投じ、「CBA123」を開発したものの、価格を半分にしなければ競争力がないことがわかり、一機の契約もないまま開発が中止され、開発費用がそのまま損失となった。
このころ、赤字を出し続けたため、政府の援助が打ち切られ、さらに湾岸戦争(1991年)勃発によって航空産業が低迷期に入り、重要顧客だった欧米の航空会社から注文のキャンセルが相次いだため、従業員1万4000千人の大半を解雇した。しかし、それでも赤字は膨れ上がる一方だった。
[編集] 民営化
政府は根本的な解決としてエンブラエルの民間売却、民営化に踏み切った。2度売却に失敗するが、1994年12月、金融コングロマリット「ボザノ・シモンセン」、社会福祉年金運用会社「プレビ」、「システル」が共同で出資し、1億4670万米ドルで買収した。
持ち株30パーセントで最大株主であるボザノ・シモンセンから出向した社長マウリシオ・ノビス・ボテーロは、株主の金融関係のノウハウを活かし経費を切り詰め、体質改善を図ると同時に、国営時代の90年代から開発していた50人乗りの小型ジェット機「ERJ145」の販売に踏み切り、同時に35人乗りの「ERJ135」も開発した。これが、小型旅客機を望んでいた各国の航空業界の目にとまり、まさに飛ぶように売れたおかげで、4年後には黒字に回復した。さらに2000年には半年で欧米の航空会社17社と契約を結ぶなど驚異的な成長を遂げる。
1999年にはフランスの航空機製造企業のグループ、ダッソーに、株の20%を売却することで提携し、技術交流を容易にした。
その後すぐに、一回り大きな70人乗り「ERJ170」、98人乗り「ERJ190」、108人乗り「ERJ195」の開発を発表した。これらの機体は日本の川崎重工業も機体の製造に参加しており、ヨーロッパやアメリカの大手航空会社が相次いで導入するなど売れ行きも好調である。
[編集] 世界第4位の航空機製造会社
現在、ヨーロッパのエアバス、アメリカ合衆国のボーイング、カナダのボンバルディアについで世界で第4位のシェアを保持するものの、その成長はボンバルディアを追い抜く勢いであり、今後が注目される。最近では、中華人民共和国に工場を設立した。
軍事部門も得意分野であり、ブラジル空軍が運用する機体の50パーセントを占める。また、オーストラリア空軍など、世界20カ国以上の軍隊でも採用されている。
[編集] 機体リスト
- EMB-110 Bandeirantes
- EMB-121 Xingú
- Tucano
- CBA123
- EMB-120 Brasilia
- ERJ-135
- ERJ-140
- ERJ-145
- エンブラエル170
- エンブラエル175
- エンブラエル190
- エンブラエル195