キリストの磔刑
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キリストの磔刑(―たくけい(―たっけい、―たつけい、とも))は、キリスト教の聖典である新約聖書の四福音書に書かれているエピソードの1つ。 ナザレのイエスが、エルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、ユダヤ人の指導者たちは、死刑の権限がないので、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者として渡し、公開処刑の死刑である十字架ないしは杭に磔になって処刑されたというものである。
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十字架刑はローマ帝国でも、反逆者のみが受け、ローマ市民権保持者は残忍なためにそれだけは受けない様に免除されていたところの最も重い刑罰であった。
1世紀前半の30年頃に、当時のユダヤ教のあり方を批判し人々に神の教えを説くなどしていたユダヤ人イエスが処刑されたというのは恐らくは史実であろう。
キリスト教の教義に於いては、救い主であるイエス・キリストが人類をその罪から救うために、身代わりに磔になったものとされる。
[編集] 十字架刑
この時代の磔刑では十字架につけられて即死することはなかった。刑を受ける者は両手首と足首を釘でうちつけられ、体を支えられなくなることで呼吸困難に陥って死に至った。そのため、長引く場合は48時間程度も苦しみ続けて死んだと言われる。ただしイエスと共に十字架につけられた二人の男(この二人は刑の執行がイエスと同じ日になっただけでイエスとは無関係)は、安息日に死体が十字架にかかっていることを厭ったユダヤ人たちの依頼で、安息日を迎える前に足を骨折させて窒息死させられた。兵士はイエスの足も折ろうとしたが、すでに死亡していたためやめた。イエスの死を確認するため、ある兵士が槍でイエスのわき腹を突き刺したという記述も福音書に見られる。
-補足- ちなみにこの「ある兵士」とは、ロンギヌスであり、その槍はロンギヌスの槍として有名である。ロンギヌスはイエスの死の確認の際に血が目に入り、白内障が治ったということである。
[編集] 注:杭殺刑について
最近の新約聖書学からは、イエスの時代では、いわゆる十字架刑ではなく、杭殺刑(杭に縛って殺す)であり、高さも人の背の高さから少し高い程度に過ぎなかったという報告がある(佐藤研)。 後の時代には、イエスを神と理解する信仰から、杭殺刑の残忍性が払拭されるようになり、神の栄光を表すという心情から、高く掲げられるように変わってきた。
[編集] ローマ総督
当時のユダヤ属州のローマ総督ポンティウス・ピラトゥス(ポンティオ・ピラト Pontius Pilatus)は、イエスを救うために以下のような手を尽くしたと福音書記者は記述している(しかし歴史上の彼は、実際は、ユダヤ人に対して残忍であったことが知られている)。
- 同時期に死刑を宣告されていたバラバとイエスのどちらかを釈放しようとした。しかし、民衆はイエスを釈放することを望まなかったので、バラバが放免された。
- イエスに十字架(杭)を自分で運ばせるなどの手段を使い苦痛を与えるとともに、それは政治犯への見せしめであった。なお、裁判から磔の実行までは、日没から聖なる過ぎ越しの祭りが始まるので、できるだけ早く処理された(一日の始まりは朝ではなく、夕方日没からである)。
[編集] 芸術・作品
キリストの磔刑は、数多くの美術や文学の主題として選ばれている。 文学では、ノーベル文学賞作家、ラーゲルクヴィスト著の『バラバ』が有名である。
美術では一連の磔刑の出来事は、幾つかのさらに細かい主題に分類されている。
- 十字架昇架: キリストをはりつけた十字架を起こす場面。ルーベンスのものが名高い。
- 磔刑図: 数限りなくあるが、例えばヤン・ファン・エイクのものがよく知られている。
- 十字架降架: キリストが十字架から降ろされている場面。十字架を描かない場合もある。ロッソ・フィオレンティーノやポントルモのものが有名。
絵の中に登場する人物は福音書によってその場にいたと記録されているイエスの母マリア、ヨハネ、マグダラのマリアなどである。
映画では、「ベン・ハー」「キング・オブ・キングス」「偉大な生涯の物語」「聖衣」などが、キリストの磔刑を描いている。2004年2月にアメリカ合衆国で公開(日本では5月に公開)された作品「パッション」は、極めて凄惨な磔刑の執行場面を描いたことなどで物議を醸した。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 医学的見解に基づく十字架「愛の激痛」 - 磔刑による苦痛の医学的考察