サトゥーン県
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
世界 > アジア > 東南アジア > タイ王国 > タイ南部 > サトゥーン県
統計 | |
---|---|
県庁所在地 | サトゥーン市 |
面積 | 2,479.0km² |
人口 | 247,875人 (2000年) |
人口密度 | 100人/km² |
ISO 3166-2 | TH-91 |
地図 | |
この項目は英語版を元に 作成されています。 |
サトゥーン県はタイ・南部の県(チャンワット)の一つ。トラン県、パッタルン県、ソンクラー県と接し、マレーシア都の国境も有する。
マレー語ではストゥル(Setul)と呼ばれる。
目次 |
[編集] 地理
サトゥーン県はマレー半島に位置し、アンダマン海に面する。タルタオ島海洋公園やペートラー海洋公園も県内に有する。またタレー・バン国立公園には大規模な淡水の干潟がある。
[編集] 歴史
1813年まではサトゥーン県はムキット・ストゥルと呼ばれ、クダ王国の一部であった。その後の1909年英領ビルマ・マレーとタイが領土を定めた時にムキット・ストゥルはタイ族の人口が比較的多かったためタイに編入された。モントン(州制)が導入されたときにはサトゥーンはモントン・プーケットの中でいち早く最初の県に導入された。1925年、モントン・プーケットはモントン・ナコーンシータンマラートに編入されるが、1933年にはモントン解体が行われ、サトゥーン県が成立した。
[編集] 民族
サトゥーンはムスリムの多い南部四県に分類されている。住民の67.8%はムスリムで31.9%は仏教徒である。サトゥーンでは歴代のタイ族王朝に反感を抱いていたパタニ王国の領土ではなく、タイの歴代王朝の君主と通婚を繰り返してきたケダ王国の支配下にあったので、住民は他宗教との通婚が多い。一部にはムスリムであればマレー人、仏教徒であればタイ族を称する集団もある。住民の9.9%がマレー系であると言われているが、あまり当てにならない数値でもある。ちなみに、このあたりはムスリムが多いが、イスラム過激派とのつながりが薄く、イスラム原理主義の根強い深南部三県からは除外されている。
[編集] 県章
県章は、日の入りとともにプラ・サムットテーワー(神格)が海にある岩に腰をかけているものが描かれている。日の入りは県がアンダマン海に面していることを示している。
県木はDalbergia bariensis、県花はソシンカ(Bauhinia acuminata)、県のスローガンは平和で、清潔で、純粋な自然である。 |
[編集] 行政区分
サトゥーンは6の郡(アムプー)、一つの文郡(キンアムプー)に分かれ、その下に36の町(タムボン)257の村(ムーバーン)がある。
郡 | 分郡 | |
---|---|---|
|
|
|
- タイの県と特殊地域
-
北部: ウタイターニー | ウッタラディット | カムペーンペット | スコータイ | ターク | チエンマイ | チエンラーイ | ナーン | ナコーンサワン | パヤオ | ピッサヌローク | ピチット | プレー | ペッチャブーン | メーホンソーン | ラムパーン | ラムプーン 東北部: アムナートチャルーン | ウドーンターニー | ウボンラーチャターニー | カーラシン | コーンケーン | サコンナコーン | シーサケート | スリン | チャイヤプーム | ブリーラム | ナコーンパノム | ナコーンラーチャシーマー | ノーンカーイ | ノーンブワラムプー | マハーサーラカーム | ムックダーハーン | ヤソートーン | ルーイ | ローイエット 中部: アーントーン | アユタヤ | カーンチャナブリー | サケーオ | サムットサーコーン | サムットソンクラーム | サムットプラーカーン | サラブリー | シンブリー | スパンブリー | チャイナート | チャチューンサオ | チャンタブリー | チョンブリー | トラート | ナコーンナーヨック | ナコーンパトム | ノンタブリー | パトゥムターニー | プラーチーンブリー | プラチュワップキーリーカン | ペッチャブリー | ラーチャブリー | ラヨーン | ロッブリー 南部: クラビー | サトゥーン | スラートターニー | ソンクラー | チュムポーン | トラン | ナコーンシータンマラート | ナラーティワート | パッターニー | パッタルン | パンガー | プーケット | ヤラー | ラノーン 特殊地域: バンコク | パッタヤー特別市 - タイの地方行政も参照。