タイ族
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タイ族とはタイ語やラーオ語等のタイ諸語(シナ・チベット語族)を母語とする人のこと。タイ人=タイ族、ラオス人=ラーオ族でないことに注意する必要がある。この項目ではタイ族と言った場合、特に指定がない限りラーオ族なども含ませている。
[編集] 歴史
タイ族の発祥は明らかではないが、現在の中国南部にいたと考えられており、「揚子江流域で稲作をしていた」というような説や、「広西付近で生活していた」という説がある。当時の華北にいた中国人(漢民族)は、中華思想によりタイ族やその他南方の諸民族を「南蛮」と呼んでおり、タイ族は特に「哀牢(Ailao)」と呼ばれていた。
古代の哀牢の地である中国南西部雲南省南部には古来よりタイ族が住居しており、シプソンパンナ・タイ族自治州や徳宏タイ族自治州が存在する。中国語ではタイ人を泰(Tai4)、雲南のタイ族を傣(Dai3, 人偏の泰)と書いて区別している。雲南のタイ族はタイ国に住むタイ族からはルー族と呼ばれる。
その後、漢民族を含む北方諸民族の南下により中国で大規模な人口変動が起こるとタイ族も移住を余儀なくされた。稲作を生業としていたタイ族は川沿いで生活しなければならず、ある集団は、インド北東部アッサム地方のブラマ・プトラ河流域で生活を始めた。これがアホム族を筆頭とするインドのタイ系諸民族である。彼らは現在ヒンドゥー化して、あまりタイ族としての原形はとどめていない。
他のグループはミャンマー(ビルマ)のシャン州に進出し、シャン族と呼ばれる民族形成した。シャン族は、中国のタイ族グループと併せて大タイ族と呼ばれることがある。
この他、タイ・ラオス以外に定着したグループでは、ベトナム北部、海南島に移住したものがあった。
あるグループは、メコン川北部上流に定住し、クメール族(現在のカンボジア人)の支配を退け、ラーンナータイ王国をチエンマイに建設した。彼らはラオ語と似たタイ諸語の方言を話し、独自の文字を持っていたうえ、昔の風習で腹に入れ墨を入れるがあったため、黒腹ラーオと呼ばれた。民族的には西北タイ人、あるいはユワン族と呼ばれる。ラーンナー王国は数百年続いたが、のちにチャクリー王朝(現在のタイ王国)の属国となり、後に完全なタイ領となった。黒腹ラーオはチャクリー王朝の小タイ族とほぼ完全に同化したため、現在は西北タイ人と呼ばれ、特に区別されない。
メコン川流域に定住した住民のうち東へ移住した民族をラーオ族といい、彼らが立てた国が現在のラオスである。このグループは後述の小タイ族に対して、同化の傾向を示さず頑なにラーオ族であることに固執したので、タイ族とは似て非なる特徴を形成した。これは後に同じ民族にありながらラオスと言う国を形成した要因でもある。近代に入ってからは、タイ系・非タイ系の少数民族がラーオ族の反抗勢力になるのをラオス政府は恐れ、ラオス国籍保有者をラオス人と定義し、ラオス人をラーオ族という民族やその他の少数民族という風に分類する事を政治的に否定した。
ラーオ族はメコン川南西部にも居住していたが、タイのチャクリー王朝とラオスとの戦争によりこの地方(イーサーン)はタイの領土となる。その後は、この地方のラオ族はイーサーン人としてラオス人と区別されるようになった。イーサーン人は、厳しい気候による貧困と言葉の違いにより、タイ王国の小タイ族から差別を受け、伝統的にラーオ族意識が強かったが、最近では中央政府の開発やグローバライゼーションの影響により一体化が進んでおり、若年層や都市部を中心に、タイ人意識が高まっている。
外国によりシャム人と呼ばれた人々が、小タイ族である。彼らは、チャオプラヤー川下流で先住のクメール族(現カンボジア人)を退けて、1257年(タイ仏歴1803年)、スコータイ王国を建てた。このタイ族のグループは、非タイ系民族からサヤーム(暹、Siam、日本語における「シャム」)と呼ばれた。このスコータイ王国が現タイの基礎である。
後には大タイ民族主義と呼ばれる同化を政策をタイが進めたため、タイ領内のタイ国籍保有者をタイ人と定義し、タイ系・非タイ系少数民族を政治的に否定した。
[編集] タイの語源
一般にはタイ(Thai、ไทย)という語は「自由」を意味すると説明される。しかしこれは俗説であり、中国古代語の「大(dai)」が語源で、daiが訛って、thai(ไท)となったとするのが現今有力な説である。
「大」という漢字は「大人(たいじん)」という言葉の用法に見えるように「立派な」という意味があり、それが転化して「(奴隷でない立派な)自由人」という意味となり、さらに「自由人」という意味から、タイの語に「人」、「自由」などの意味が生じたと考えられる。実際、昔のタイでは「あなたはどこのタイですか?」というような用法が非奴隷人民の間で使われていたという。タイ(自由人)はタートと呼ばれる奴隷と明確に区別された。後にこの語は現在のタイに普及し、タイ人を表す普遍的な言葉となった。
現在タイでは「タイ(Thai、ไทย)」という語には文語的で曖昧な意味合いの「自由」という意味と、「タイ人」という意味の二つの意味合いがある。ちなみにไทยの語のยはこの言葉をサンスクリット語風に見せるための無発音の文字であり、いわば飾りである。この語に相当する語はサンスクリット語にはない。
[編集] ラーオの語源
ラーオとは昔は王族の名前に冠して使うことがあった。この用法はチエンマイ王統史やナーン王統史にも見えている。その後ラーオはその貴族的称号としての地位を徐々に失い、ただ単に「人」を表す言葉となった。当初はタイと言う言葉も人の意味を持って使われていたが、後にラーオ族の国においてタイ族に対して反感を抱くようになり、どこぞのタイと言う意味に対して、どこぞのラーオという言い方に変わって行き、ラーオが民族名として定着した。
余談になるが後に、フランスが来たときこのラーオをLaoと表記し、これに複数の接尾辞を付け Laos(ラーオ達)としたのが国名になった。
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